平成二十八年七月二十八日(木)

         吾妻の歌垣 むらさきものがたり    古典ミュージカル・ワークショップ
                                        於 きらりホール
                                     脚本・演出  根岸 弘




   第一景 深川芭蕉庵
            登場人物:芭蕉・宗波・曽良

   第二景 鎌ケ谷の原
            登場人物:女児一・男児三

    第三景 香島の歌垣(童子女(うなゐ)の松原)
            登場人物:那賀(なか)の寒田(さむた)の郎子(いらつこ)
                  海上(うなかみ)の安是(あぜ)の嬢子(いらつめ)
                  吾妻の国々の若者

    第四景 筑波の歌垣(筑波山頂)
             登場人物:筑波の男神・女神
                  吾妻の国々の人々 男四 女四

   
     ■朗読ワークショップ《ホワイエ》

  ●語り手
  (第一景)舞台出演者
             ●芭蕉(台本可)
             ●宗波(台本可)
             ●曽良(台本可)
  (第二景)舞台出演者
             ●女児 
             ●男児A
             ●男児B
             ●男児C


  ■歌ワークショップ《練習室》


   コーラス  楽譜可【第一歌】
         あづさゆみ はるのつくばの むらさきは 
         ましろきふじに いやまさりけり

   コーラス  楽譜可【第二歌】
         つくばねの みねよりおつる みなのがは
         こひぞつもりて ふちとなりぬる

   コーラス  楽譜可【第三歌】
         ところえて くさはむこまに かまがいの
         さとのわらべの はなのわのくら

   コーラス  楽譜可【第四歌】
         ひいづる あづまの つくばね さやけし
         むらさき におえる あづまの まほろば
         ひとびと つどいて よきひの うたがき
         ことほぎ たまえり つくばの ふたがみ

  (第三景)舞台出演者
    相聞          ●那賀(なか)の寒田(さむた)の郎子(いらつこ)
                ●海上(うなかみ)の安是(あぜ)の嬢子(いらつめ)

   (第四景)舞台出演者
    掛歌          ●筑波の男神
                ●筑波の女神
                ●吾妻の国々の人々 男四 女四

  
     ■楽器ワークショップ《学習室2》

   ●楽器 
   チベット太鼓その他。


     ■裏方ワークショップ《舞台裏および学習室5》
     ●照明
     ●音響
    効果音(CD「効果音セレクション 2」使用。ただし小道具も併用)
        33/明け烏の声
        74/秋の虫の声
        21・22/23/野馬の足音
        37/海鳴りの音 
           海鳴りの音(小道具 ザルと豆)
        46/鶏の声
        28/犬の声

     ●大道具
   第一景  小柴垣の門
   第二景  筑波山の遠景(映像スクリーン)
   第三景   童子女(うなゐ)の松原(映像スクリーン)
         松の木 奈美松(なみまつ)(郎子)
         松の木 古津松(こつまつ)(嬢子)
   第四景   筑波山頂の岩(雲涌く装置)

      ●小道具
   第一景  宗匠頭巾(なくても可)
        坊主頭(なくても可)
        丁髷頭(なくても可)
        草鞋二(なくても可/芭蕉の草鞋として一足あり)
        笠 二 宗波・曽良(芭蕉の笠あり。手本として手作り)
        杖・錫杖・数珠・筆・短冊
   第二景  野馬を画いた立て札(もしくは会場のこどもたちを舞台に誘い、
        野馬の顔の小看板としっぽをつけて自由に走り回らせる)
        むち三本・花の鞍(女児用の背負籠あり)・ききょうの花
   第三景  ザルと豆(海鳴りの音)・木綿(ゆう)(まゆう)


   

   第一景 深川芭蕉庵

      登場人物:芭蕉・宗波・曽良       裏方/黒子二

  ●幕開く

  ●語り
   徳川五代将軍綱吉のまつりごとが始まってまもない貞享四年秋八月、松尾芭蕉は、常陸の鹿島で
   月を見ようと、門人の曽良と宗波を誘った。

  《照明=フェード・イン しだいに夜が明けるさま》
  《音響=効果音33/明け烏の声》

  《照明=ピン・スポット》
     (芭蕉、小柴垣の前にて、杖を手に佇んでいる)

   芭蕉:わが仏門参禅の師、はるか鹿島の仏頂和尚を照らす月の光の尊さよ。

      《照明=ピン・スポット》
      (宗波、数珠・錫杖を手にして、上手より登場)
   宗波:おはようございます。
    拙僧も禅の師・仏頂和尚、俳諧の師・芭蕉翁の、両師の驥尾に付して、いささかなりとも悟りの
    手がかりを得たい、と願うばかりでございます。
   芭蕉:これはこれは、例によってなかなかのご挨拶、痛み入ります。
    墨の衣を身に、手には錫杖、一分の隙もない、宗波殿が雲水の姿。それにくらべて、僧にもあらず、
    俗にもあらず、鳥と鼠の間にあるといわれる蝙蝠がごときわが境涯、俳諧師、といえば所詮それま
    でか。

      《照明=ピン・スポット》
      (曽良、下手より登場)

   曽良:みなさま、おはようございます。
   芭蕉:おうおう、ご苦労様。これでわれら一行、うちそろいましたな。
      ところで河合殿、俳句は初心の貴殿のこと、ちかごろのお作は如何かな。
   曽良:入門まもなく、和歌の稽古とは心得がことなり戸惑いながらも、そこをまた何よりの楽しみに、
      明け暮れ、駄句をひねっております。
   芭蕉:武士の身分を捨て俳句に打ち込む日々、まことに、手に余る御仁じゃ。
   曽良:もったいないお言葉。拙者、どこまでもついて参る所存でございます。

   ●語り
    秋の朝、師弟三人がそろった江戸深川の芭蕉庵は、隅田川と小名木川の交差する所にある。

     (一行、舟に乗るさま)
     《黒子 小柴垣を上手に引き取る》

    門前より旅に出た芭蕉一行はまもなく、当時かまがいの原、とよばれていた、現在の鎌ケ谷市
    のあたりを 通り過ぎる。以下紹介するのは、そのかまがいの原から、市の真北にそびえる
    筑波山を描く芭蕉『鹿島紀行』中の名場面である。

      (一行、朗読にあわせ、それぞれ工夫の身振り)

    門よりふねにのりて、行徳といふところにいたる。ふねをあがれば、馬にものらず、ほそきはぎ
    のちからをためさんと、かちよりぞゆく。

     (一行、舟より降り、それぞれ笠をかぶるさま)

    甲斐のくによりある人の得させたる、檜もてつくれる笠を、をのをのいただきよそひて、やはたと
    いふ里をすぐれば、かまがいの原といふ、ひろき野あり。秦甸(しんでん)の一千里とかや、めもは
    るかにみわたさるる。つくば山(やま)むかふに高く、二峯(にほう)ならびたてり。


      《筑波山の遠景(映像スクリーン)

    芭蕉:「ゆきは不申(もうさず)先(まず)むらさきのつくばかな」
       わが門人嵐雪の句だ。富士と筑波を一対にして、筑波の春景色を詠んでいる。いまは秋ながら、
       とりあえず筑波山(つくばやま)への手向としよう。
    曽良:澄み切った青空にまことに神々しき山のかたち。
    宗波:筑波嶺のごとき不動の心を持ち続けたいものよ。
    芭蕉:だが、人は時に流される。旅にのみ、誠がある。

    ●コーラス【第一歌】
         あづさゆみ 
         はるのつくばの
         むらさきは
         ましろきふじに 
         いやまさりけり

    (芭蕉、筑波山(つくばさん)を仰ぎ見る。曽良、懐より短冊を出し、筆を執る。宗波、数珠を掲げ、        ひざまづき合掌する)

    ●語り
     すべてこの山は、やまとだけの尊(みこと)の言葉をつたへて、連歌する人のはじめにも名付けたり。
     和歌なくばあるべからず。句なくばすぐべからず。まことに愛すべき山のすがたなりけらし。

         (芭蕉一行、上手に退場)
   ●幕降りる


                  第二景 鎌ケ谷の原

                              登場人物:女児一・男児三

   ●幕開く

          《筑波山の遠景(映像スクリーン》

    ●コーラス【第二歌】
     つくばねの 
     みねよりおつる 
     みなのがは
     こひぞつもりて 
     ふちとなりぬる

          《音響=効果音74/秋の虫の声》

    ●語り
     きちかう・をみなへし・かるかや・尾花みだれあひて、さをしかのつまこひわたる、いとあはれ也。
     野の駒、ところえがほにむれありく、またあはれなり。


        《音楽変わる 野馬のリズムを基本に、わらべ歌風 軽快に》
        (上手より、かまがいの里の男児 三人登場)

    男児A:やあ、向こうにつくばが見える。今日も、日本晴れだ。
    男児B:草もいっぱい。うれしいな。
    男児C:馬もいっぱいるぞ。それっ、おいかけろ。
    男児B:おいかけろ。

        《効果音=21・22・23/野馬の足音》

       (男児三人、野馬や農夫になった気分で)
     ①ムチでたがいの尻をたたいて走る。②自身の尻をたたいて走ったり止まったりする。
     ③ムチを鎌にみたて草を刈る農夫の仕草。④草をはむ仕草。)

       (下手より、かまがいの里の女児 背負籠すがたで登場)

    女児 :花はだめ。気をつけて。食べたらだめよ、踏んだらだめよ。

        (三人が野を存分走りまわる中、女児は花を摘み手作りの鞍(くら)をつくる)

    女児 :ほーら、きれい。
        できたわ。できた。

        ねぇ、のせて。あたいのおくら。

    男児B:ほーいほい、
        よしきた、のせてみな。
        のせーるもんなら、のせてみな。
        うしよりのろい、小うまさん。

    男児C:ひひーんひん、
        おいらは、こっちでまってるよ。

            《メロディ》

    男児A:花つんで、おしゃらくさん。
    男児B:花あんで、おしゃらくさん。
    男児C:おしゃらくさん。
    男児B:おしゃらくさん。
    男児A:おしゃらくさんたら、おしゃらくさん。
     
         《コトバにイントネーションをつけた節回し》

    B・C:いくらしゃれても、ほほほのほう、
    男児B:ほれてがないよ。
    男児C:ほれてがないよ。
    男児B:やあい、やい。
    男児C:やあい、やい。

    男児B:おしゃらくさんたら、
    男児C:おしゃらくさん。

       (女児、手作りの花の鞍をもって追いかけるが相手にされない)

    男児A:あーもうだめだ、はらがへってうごけない。たすけてくれ。
        だれか、手を貸してくれ。

    女児 :あっ、きれいなむらさき。
        ききょうの花。

        これ食べて、げんきになってね。
        はらぺこの、おうまさん。

       (男児A、わざとつかまり、女児の鞍を背に載せさせる。)

   ●コーラス【第三歌】
        ところえて 
        くさはむこまに 
        かまがいの
        さとのわらべの 
        はなのわのくら

            《照明=夕暮》

    (男児BC:舞台で競馬するさまにて下手に退場、あとを追うように男児A・女児も下手に退場)
  ●幕降りる




         第三景 香島の歌垣(童子女(うなゐ)の松原)

                      登場人物:那賀(なか)の寒田(さむた)の郎子(いらつこ)
                           海上(うなかみ)の安是(あぜ)の嬢子(いらつめ)
                           吾妻の国々の若者たち


   ●語り
    男神女神二柱(ふたはしら)の 神のまします筑波山(つくばやま)。
    いや高くいや尊き 吾妻(あずま)のかんなびの山。
    その神の山の東の麓には香島の郡(こおり)。
    八世紀のはじめに成立した『常陸国風土記』には、

  香島の郡(こおり)、東は大海(おおうみ)、南は下総(しもつふさ)と常陸との間なる安是(あぜ)の
  湖(みなと)、西は流海(ながれうみ)、北は那賀(なか)と香島との堺なる阿多可奈(あたかな)の
  湖(みなと)なり。

  とある。当時とは地形がことなるが、現在の千葉県と茨城県の県境付近一帯であろう。大海(おおうみ)、
  鹿島灘にそってどこまでもつづく白い砂浜と青い松原。言い伝えにある童子女(うなゐ)の松原はそこに
  あった。

   ●コーラス【再び第二歌】
        つくばねの 
        みねよりおつる 
        みなのがは
        こひぞつもりて 
        ふちとなりぬる

  ●幕開く
       《照明=明け方の光》
       《音響=効果音37/海鳴りの音)

       《照明=ピン・スポット》
       (郎子、下手より、嬢子、上手より、それぞれ人を探す様子で登場)

   そのころ男女の僮子(うない)がいた。僮子とは髪を結わず頸のあたりでまとめた少年少女をさしていう。
   少年の名は那賀(なか)の寒田(さむた)の郎子(いらつこ)。少女の名は海上(うなかみ)の安是(あぜ)の嬢子
   (いらつめ)。
   ともに筑波の神につかえ、神の子と呼ばれていた。
   二人のきらきらしい顔立は国々で、誰一人として知らない者はいなかった。遠く離れて暮らしながらも、
   その評判を耳にした当の二人は互いに、いつか会いたいと願うようになっていった。

       (国々の若者、上手・下手よりわかれて登場、群舞〈A〉)

   歌垣の日がやってきた。歌垣は国々の若者が集い、歌い明かす一夜。

    ●相聞
    郎子              嬢子
      わたしは みました      ひしめく うたがき
      たしかに みました       なみたつ うたがき

       (郎子、しきりに背伸びする。嬢子、人混みにもまれるさま)

      わたしは みました      ひしめく うたがき
      たしかに みました       なみたつ うたがき

       (郎子、しきりに進みかける。嬢子、人混みにもまれるさま)

      あぜの こまつに       なかに きらりと
      あなたが かけた       あなたの ひとみ
      ましろの まゆうを      わたしを みつめた

        (若者の群舞〈B〉たえず二人の間に入って仲をさくさま)

      まゆうを かざして      ひとまつ まつのき
      あなたが まえば       わたしは ここに

        (嬢子、木綿をかざして舞ってから人混みの背後へ)
        (郎子、見失ってさまよう)
    
      わたしの たましい      かくれて ききます
      ゆれゆれ ゆれる       あなたの ことば

        《照明=フェード・アウト》
        (若者の群、下手に退場)
        《照明=フェード・イン》

        (郎子、嬢子、舞台中央でしずかに肩を寄せ合う。

        《照明=照明の色彩・光量を工夫し、あやしい月夜の明るさを表現》
        《音響=海鳴りの音 小道具の波の音》

    月は皎々として照り、海鳴りの音がしだいに高くなった。二人の語らいはいつまでも尽きることが
    なかった。

        《音響=効果音46/鶏の声》
        《音響=効果音28/犬の声》
        《照明=照明の色彩・光量を工夫し、曙の光を表現》
 
    にわかに鶏が鳴き犬が吠え、天が明るくなった。
    二人は互いの顔を見つめ合ったまま、なすすべもなかった。

        (郎子・嬢子、それぞれ松の影にかくれる)

    そこで二人は人に見られることを恥じて、そのまま、松になった。
    郎子は奈美松(なみまつ)に、そして嬢子は、古津松(こつまつ)になった。
    なお、『常陸国風土記』によれば、これらの松の名は、今に至るまで改めていないという。

●幕降りる




               第四景 筑波の歌垣(筑波山頂)

                             登場人物:筑波の男神・女神
                             吾妻の国々の人々 男四 女四


     ●コーラス【第四歌】
          ひいづる あづまの
          つくばね さやけし

          むらさき におえる
          あづまの まほろば

          わこうど つどいて
          よきひの うたがき

          ことほぎ たまえり
          つくばの ふたがみ

    ●語り
     歌垣は、古代日本の各地に自然発生的に生まれたもので、あつまった男女が歌の掛合いを通し、
     求婚しあう場であった。
     筑波山は歌垣の山として知られ、その様子は万葉集の歌にも詠まれてきた。
     また「つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞ つもりて ふち となりぬる」の歌は、
     このあづまの筑波嶺を歌枕とする、恋の歌。……
     いまも多くの人々に愛されている。

   ●幕開く
         (舞台中央に筑波の男神・女神 雲涌く岩の上に立つ)
         (男A女A 下手より登場)

   ●掛歌
      男A くもわく つくばね  ひめたる やくそく。
      女A  わがきみ  せのきみ  あなたに  あうため。

         (男B女B 上手より登場)

      男B  やまこえ  のをこえ  みちのり  はるかに。
      女B  くもわく  つくばね  あなたに  あうため。

         (男C女C 下手より登場)

      男C  うれしい  ことばに くもわく  つくばね。
      女C  あなたの  ことばに  ひとなく  こいのひ。

         (男D女D 上手より登場)

      男D  わがいも  にこぐさ  いとしい  まなざし。
      女D  あなたの  ことばに  くもわく  つくばね。

         (男神女神 雲涌く岩より立ち上がる)

      女神  わきたつ  おもいは  いのちの  みなもと。
      男神  くさのね  むらさき  こいする   まごころ。

      男神  くもわく  つくばね  つきせぬ  おもいよ。
      女神  くもわく  つくばね  こいのひ  むらさき。

          (全員)

         くもわく  つくばね  つきせぬ  おもいよ。
         くもわく  つくばね  こいのひ  むらさき。
         くもわく  つくばね  こいのひ  むらさき。


   ●幕、コーラスとともにゆっくり降りる

    ●コーラス【みたび第二歌】

         つくばねの 
         みねよりおつる 
         みなのがは
         こひぞつもりて 
         ふちとなりぬる




                   第八回明窓舎コンサート

              
今昔三話

 ●幕あがる
    
 ■舞台正面上部のスクリーンに「平安時代初期天皇家系図Ⅰ」

┌───────┐
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│ │ 「平安時代初期天皇家系図Ⅰ」
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  語り手登場し、上手に据えた椅子に着席。

          《序奏》(能管演奏 平安朝の龍笛風)

 ○語り手=文徳天皇は仁明天皇の第一皇子、諱は道康。天長四年八月誕生、承和九年二月元
      服、同年八月四日、淳和天皇の第二皇子にして皇太子たる恒貞親王を退け、立太
      子、御年十六。
      嘉祥三年三月、父帝仁明天皇、在位十八年にして崩御。ただちに即位、御年二十
      四、政を執ること八年、天安二年八月二十七日崩御。宝算三十二。同日、皇太子
      惟仁親王、御年九つにて皇位継承、清和天皇。

  《笏拍子》

 ○語り手=翌九月二日、清和天皇いまだ幼少なるをもって、外祖父太政大臣藤原良房を通じ、
    「すみやかに先帝の御陵の地を定めよ」との勅命が大納言安倍安仁に下った。

  下手より、大納言安倍安仁は垂纓の冠、陰陽頭慈岳川人は烏帽子を戴いて登場。ともに右
  手に手綱、乗馬の体で。

 ○語り手=一行は山城国葛野郡田邑郷真原岡に至る。

   安仁、下馬の体で、舞台中央の椅子に着席。

 ○語り手=随行の陰陽頭慈岳川人は周辺の地相を審らかに見る。

  川人、乗馬の体のまま、天を仰ぎ、地を見つめ、舞台を満遍なく歩いたの ち、上手寄りのと
  ある一点で立ち止まる。

  ■舞台上手上部のスクリーンに五芒星の図像を映す。点滅。
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│ │ 「五芒星」の図像を映す。「点滅」!。
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└───────┘
   川人、下馬の体ののち、安仁の前にひざまづく。

 ○語り手=川人は一点を指し示し、勅使、阿倍大納言安仁に、文徳陵点定の旨を粛々として
     告知する。天皇崩御の日より、おのれにその沙汰あるべしと、すでに七日にわたる
     精進潔斎を済ませていた陰陽博士川人は、斯道において、古にも恥じず、世に並び
     なき者であった。
 
   安仁、川人、ともに乗馬の体をしてから、右手に手綱、乗馬の体で、上手 へむかって歩
   を進める。

 ○語り手=その日は未明から、降りみ降らずみ、定めなき空模様、任務を果たした大納言一 
     行は、深草の北、仁明天皇の深草陵の辺りを進んで行った。さながら一筋の道の上を
     動く影絵の如く……。

  ■舞台正面上部のスクリーンに漢詩の字幕。

 ○安仁=「長夜に君先づ去りんたり 

┌───────┐
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│ │ 「長夜に君
│ │   先づ去りんたり 
│ │
│ │
└───────┘
     残んの年我れ幾何ぞ」
┌──────┐
│ │
│ │ 残んの年
│ │     我れ幾何ぞ」
│ │
│ │
└──────┘

 ○語り手=垂纓の冠に縫腋の袍、馬上に威儀を正した大納言が朗詠すると、左右の叢からし
     きりに虫の音がわき起こった。

  ■《虫の音》

 ○語り手=背後からこれに和する朗詠。

  ■舞台正面上部のスクリーンに漢詩の字幕。

 ○川人=「秋の風に襟(きぬのくび)涙に満つ 

┌──────┐
│ │
│ │ 「秋の風に襟
│ │      涙に満つ
│ │
└──────┘

 ○安仁・川人=「泉下に故人多し」

┌─────┐
│ │
│ │ 「泉下に
│ │     故人多し」
│ │
└─────┘

 ○語り手=濡れた葉末に秋の露。大納言の耳に川人の涙ぐんだ声が届く。

 ○川人=「かように万民が愁いに沈んでいる折も折でございますれば、木石のごときわたく
    しの胸にも、かの大唐国に名高き、香山居士白楽天の一首、心の奥底まで染み入りま
    した。さきほどはお断りなきままに同吟の不作法、失敬仕まつりました」

   安仁、川人、上手にむかって並行し歩を進める。

 ○語り手=二頭の馬が横並びになると川人は袖でそっと目がしらを押さえながら一礼。

 ■《虫の音》

 ■舞台正面上部のスクリーンに漢詩の字幕。

○川人=「要々たり深草(しんそう)の中(うち)」
┌──────┐
│ │
│ │ 「要々たり
│ │     深草の中」
│ │
│ │
└──────┘

 ○語り手=川人は意味ありげに吟じ、おもむろに。

 ○川人=「一面に松虫鈴虫のすだく深草(ふかくさ)の地は…わが思う人に見せばやな…、と
    いう心を、これまでも多くの人に抱かせて参った歌の名所でございます。ところがわ
    たくしは、と申せば、ここを通るたびにいつもただならぬ霊気が漂っているのを感ぜ
    ずにはおられないのでございます」
 ○安仁=「ほほう、そなたの如き格別な宇宙に住む者には、あるいはそう感ずるのかも知れぬ。
    が、麿には、よう分からぬ。そのただならぬ鋭 い感覚、さすがと申すよりほかはない
    がのう」
 ○川人=「まことに畏れ入ります。長年の間、世の評判はともあれ、必ずしも上首尾ではご
    ざいませんが、一身、陰陽の道に携わることをもって朝廷にお仕えし、つつましく慈岳
    の家の生活を支えて参りました。この川人、吉凶を占っていまだかつて一つとして誤っ
    たことはございません」
 ○安仁=「おっほっほ、世に名高きわれらが陰陽の博士殿よ、ことさらさように改めて申す
    こともなかろうぞ。さりながら、当方とて古代よりつづく安倍の家格を守って宮仕えし
    ておる身、要は互いに今日(こんにち)あるのも、大過なく世渡りをして参っておると
    いうことだ」

     安仁、川人、並行して上手で歩を緩め、止まる。

 ○語り手=安倍安仁は参議寛麻呂の次男、嵯峨天皇の信任厚く、嵯峨帝が上皇となったのち
     嵯峨院別当。さらに経歴を重ね、業績を挙げ、承和九年、ついに父参議、安倍寛麻呂
     の位を越え、大納言に昇進。

 ○川人=「大納言殿は亡き帝からの厚遇を謝しつつも、俸禄は中納言に準ずるよう、みずから
    減俸を申し出られました。この先例のない願い出を許された先帝のご叡慮はさること
    ながら、結果として、殿は、周囲に滅私奉公の模範を示されたのでございます」
 ○安仁=「それは臣下として当然の務めを果たしたまでのこと。尸位(しい)粗餐(そさん)、
     という言葉がある。高い位にありながら十分な職責を果たさぬことをいう。これこそ
    廷臣たるものの最も自戒すべきものではなかろうか。この今の都の繁栄は、名もなき
    無数の民草の血と汗によって支えられていることを、われらはゆめゆめ忘れてはなる
    まいぞ」
 ○川人=「朝廷は諸国に国の守を置き、納税と労役の義務を課しております。ところが、その
    国の守、世に受領(ずりよう)と呼ばれる人々のなかのある者は、『受領は倒るるところ
    の土をつかめ』、すなわち「転んでもただは起きない」という喩えにも引かれておりま
    す。おのれが任地にある間、本来国庫におさめるべき土地の財貨を横領し、私腹をこや
    していることへの非難の声かと存じますが、これは果たして本当のことでございますか」
 ○安仁=「遺憾ながら真実というほかはない。だが、かつてこの麿が、一介の地方官、従五位
    下、信濃介であったとき、律令国家の礎とならんとして日夜精励し、積み上げたわが実
    績を、嵯峨上皇はおおやけのまつりごとの席において、見よ、世に安仁あり、と称賛さ
    れ、た だちに従五位上の官位を授けて下された。そのときの身に余る名誉。臣、安仁、
    生涯忘れることができないであろう。まつりごととは、 国のため、民のため、上下(かみ
    しも)の境なく心を一(いつ)にしておこなうべきものなのだ」
 ○川人=「その嵯峨院はご遺言として、国忌、すなわち、院の命日に追善供養の法要を営むこ
    と、あわせて、野前(のさき)、陵墓に貢物を奉る使いを出すことを、それぞれ禁じられ
    ました」

    安仁、川人、前後して上手より下手へ、歩を進める。

 ○安仁=「その先例は、嵯峨院の御弟君で、院のあと皇位を継承された淳和天皇にさかのぼる。
    もともと臣籍降下し、皇族の身分を離れることを希望されておられた御方ではあったが……」
 ○川人=「即位された淳和天皇は、兄嵯峨上皇の皇子、正良(まさら)親王を皇太子としてまつ
    りごとをおこなったのち、譲位、それを承けて正良親王が 即位、仁明天皇でございま
    すね。その際、淳和上皇はこんどは我が子恒貞(つねさだ)親王を皇太子となさいました。
     ところが、時をおなじうして藤原良房公の妹御で、仁明天皇の中宮となられた順子(じ
    ゆんし)様に、第一皇子の道康(みちやす)親王がご誕生となりました」
 ○安仁=「すると道康親王の叔父となった良房殿は、秘かにこの親王を皇太子に、と画策をは
    じめたので、それからは長い間、宮中には不穏な空気が漂うこととなった。そうこうす
    るうちに病を得た上皇は、枕許に皇太子を呼び寄せ、次のように語られたという。
    『霊魂は天に帰り、残るのは墓のみ、その墓にはもののけが棲み、長く子孫に祟りをな
    す』と。
     そなたは、これをいかが思われるか」
 ○川人=「『ご陵墓、みささぎ、がなければわれらは帝のご遺徳を末永く仰ぐこともできませ
    ぬ』と、これがその臨終に際し、皇太子とともに枕許に近侍し、後事を託された中納言
    藤原吉野殿のお嘆き、お諫め、の言葉であったと、もれうかがっております」
 ○安仁=「淳和上皇はほどなく崩御、その夜ただちに火葬、大原野(おおはらの)の小塩山(おし
    おやま)にて散骨、……まことに異例づくめ、あらゆる生(せい)の記憶を消し去り、微塵
    の痕跡も残さぬ葬儀、これらすべてが淳和上皇のご遺言のとおり、粛然として執り行わ
    れた。
     御謚(おんおくりな)は日本根子天高譲弥遠尊(やまとねこあめのたかゆずるいやとおの
     みこと)。承和(じょうわ)七年五月のことであった」
 ○川人=「その二年後の承和九年七月、亡き御弟淳和上皇の後を追われるようにして嵯峨院が
    重病に陥るとみるや、あっけなく崩御。
     さあ、これでくすぶっていた皇位継承問題に、一気に火がつきました。当時中納言で
    あった良房公は、ただちに恒貞親王側の機先を 制してその皇太子の身分を廃し、その
    かわりとして仁明天皇の第一皇子、ご自身の甥にあたる御年十六の道康親王を、立太子。
    この、世にいう承和の変で、淳和上皇に近かった藤原式家の重鎮、吉野殿は中納言の職を
    解かれ、太宰の員外の帥(そち)に左遷、その他多くの廷臣も、流罪あるいは左遷の憂き
    目に遭いました」

    安仁、川人、前後して下手より折り返し、歩を進める。

 ○安仁=「麿は当時、仁明天皇のもとで蔵人頭(くろうどのかみ)などをつとめていたので、難
     を免れたばかりか、皇太子となった道康親王の東宮大夫(とうぐうのだいぶ)に任ぜられ
     た。
     承和(じようわ)は十五年をもって嘉祥(かじよう)と改元、その嘉祥三年、在位十三年に
     して仁明天皇が崩御。御父嵯峨院の御血筋をうけ、笛や琵琶、琴の管絃の楽(がく)の道
     をととのえ、まつりごとを華やかに彩られた帝であった。
     御諡は日本根子天璽豊聡慧尊(やまとねこあまつみしるしとよさとのみこと)。これは
     歴代天皇最後となった和風の謚(おくりな)である。
     麿は結局、皇太子道康親王が即位されるまでの間、お側にお仕えした。が、即位された
     帝も、早くもいまは亡き帝、すでに幽明境を異にされてしまわれることとなったのだ」
 ○川人=「さきほど仰せになった『大過なく世渡りをして』とは、かようなことでございまし
    たか。まことに畏れ多いお言葉でございます」
 ○安仁=「俗に『すまじきものは宮仕え』とも申す。その話はもうこのへんでよかろう。とこ
    ろでこの深草(ふかくさ)といい、かの化野(あだしの)といい、そなたも 麿も、いずれ世
    話にならずばなるまい、冥土に近き土地柄、霊気、妖気が籠もっておるのもいわば道理。
    だがこのたびは、まさに大事な宮仕えの身として参っておる。有難いことに本日はそな
    たの方術をもって万事滞りなく済んだ。日の暮れぬ先に早う平安の都の賑わいを見たい
    ものよ」
 ○川人=「仰せご尤もでございます」

   安仁、川人、前後して舞台中央に止まる。

 ○語り手=と、相槌を打ち、何気なく後ろを振り向いた川人、その表情は一瞬にして凍りつく。

   《かすかに太鼓の音》

 ○川人=「さりながら」
 ○語り手=その声はすっかり怯え切っていた。しばし空(くう)を仰ぎ、呼吸を整えてから、意
     を決して大納言に告白した。
 ○川人=「南無三宝(なむさんぼう)、わたくしめ、このたび、よりによって大いなる過ちを犯
   してしまったようでございます」
 ○安仁=「むむっ、唐突に何を申される。いったいどういうことだ」

   《太鼓の音やや高く》

 ○川人=「ししっ、お気づきになりませぬか! じつはいまここに土公神(どこうじん)、地(つ
   ち)の神、が追ってきておりまする!
   それと申すのも、貴殿とこの川人めが禁忌を破り、結果、限りなく重い罪を負うたからで
   ございます。先刻点定(てんじよう)いたしました地点は、地下深くに地(つち)の神が遊行
   (ゆぎよう)、すなわち、支配する地を猛々しい配下の者を引き連れ、まさしく放浪する準
   備をしておられた忌み所であったのだと、不覚にもたった今の今、知り申した次第でござ
   います」
 ○安仁=「そもそも土公神、地の神、とはいかなる者ぞ」    
 ○川人=「ときに大地を裂き、山をも崩す恐ろしい力を秘めた神。また、われらには見えませ
   ぬが海の底なる大地を裂き、結果、凄まじい大津 波を引き起こす、荒ぶる神。その大地の
   上に生きているわれら、この神とひとたび目を合わすことあらば、即刻一命を取り落とす
   こととなりましょう。
    おお、しだいに足音が近づいてきております。
    おおっ、おおっ、地の神のお怒りはいかばかりか。
    それにしてもいったい何を、何をお怒(いか)りなのでございましょう ぞ。いずれにせよ
   切羽詰まったこの事態、貴殿はいかがなされますか。到底遁れ難いことではございまする
   が」

   《太鼓の音、遠のきつつ消える》

 ○語り手=不吉な足音は大納言(だいなごん)の耳には聞こえない。これから先、何が起ころう
    としているのか皆目飲み込めないまま大納言は馬の歩みを緩め、川人にむかって呟くよ
    うに、地の神の怒りの原因を詮索しはじめた。

    《笏拍子》

 ○安仁=「やはりそうであったのか。じつはお役を頂戴したときからなにやら胸騒ぎがしてい
    た。亡き帝にとって、即位に際し力あった良房殿 の存在は何にもまして大きなもので
    あった。ところがそれと引き換えるかのように、即位五日後にはもう、息女明子様との
    間に誕生された第四皇子の惟仁親王を、その年のうちに皇太子にという、強引な一手に
    打って出られた。
     亡き帝はかねて第一皇子の惟喬(これたか)親王こそ世継にふさわしいとお考えであった
    のに、その御意向に真っ向から背いたのだ」

    《笏拍子》

 ○安仁=「この致命的な行き違い、さらにつづく宮廷における良房殿の不遜な振舞の数々、亡
    き帝が心の底で深くお怨みになっておられたことは想像に難くない。また日ごろ病弱で
    あらせられたとは申せ、急に崩御されたことに疑いを抱く、宮中内外の噂も、まま、耳
    にしてい る。
     有体に申して、このたびの御陵選定のお役、いかにも気が重かっ た。無事に事を運ん
    で当然、時が時だけに、万が一にも失策をおかすようなことがあれば、早速に我が身に
    火の粉が降りかかってくるは必定。畢竟、そなただけが頼りであったのだ。元来、麿に
    妙案のあるはずもない。ここだけの話だが、命だけは助けてくれ」

    《かすかに太鼓の音》

 ○川人=「命乞の件は貴殿ご自身ばかりにかかわることではございません。このわたくしとて
    命はつくづく惜しう存じまする。
     それはともかく、いまの京の都、平安とは名ばかり。都を開かれ た桓武天皇の御代に
    起こった、あの忌まわしい事件のことはよくご存じでございましょう」

  ■舞台正面上部のスクリーンに「平安時代初期天皇家系図Ⅰ」

 「平安時代初期天皇家系図Ⅰ」
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│ │
└───────┘

 ○安仁=「それは麿の生まれる八年前の出来事である。知らぬはずがあろうか。ご同腹の弟君、
    早良(さわら)親王を皇太子に立てながら、延暦四年藤原種継(たねつぐ)暗殺にからむ謀
    反のかどで、その皇太子の身分を奪い、廃太子とした事件のことであろう。
     処分は苛烈であった。大和の乙訓寺(おとくにでら)に幽閉、さらに遠く淡路に移送と
    いうむごい処置。その移送の途次、断食したまま憤死された親王の怨念は、あらたに皇
    太子として立った、桓武天皇の第一皇子小殿(おて)親王のちの平城(へいぜい)天皇、を
    はじめ多くのやんごとなき方々にとりつき、 宮中全体に祟りをなすこととなったのだ」

   《笏拍子》

 ○安仁=「うろたえた朝廷は、早良親王の死後、鎮魂のため、親王の御霊(みたま)、すなわち、
    そのおどろおどろしき御霊(ごりよう)を祀り、追って崇道(すどう)天皇の尊号をお贈り
    申した。それは今をさかのぼる延暦十九年のこと、無実 の罪を訴え親王が憤死してか
    ら、時すでに十五年を閲(けみ)していた。
     混乱を引き起こされた当事者桓武帝の罪は、平城(へいじよう)の旧都より新都平安京に
    移って以来、暗雲となって都全体を覆っているとする世の噂、この噂を密封することは、
    千年ののちまでできないであろう」
 ○川人=「このたびの帝の崩御の背後に、ほんとうには何があったのか、殿上人の末席を汚し
    ているに過ぎぬ身分の者が推察するのも憚られること ではございますが、かりに地の神
    の遊行、大地の摂理にしたがって放 浪することが、このたびの崩御と連動しているとす
    れば、最早わたくしめの力の及ぶところではございません」
 ○安仁=「麿もそなたも、これまで平安の都の弥栄(いやさか)を願う大宮人としてご奉公して
    まいった。それはしかし、あくまでも表向きの顔。ここは私人(わたくしびと)として思
    うのだが、日本という国は、来し方も、またおそらくは行く末も、なぜに皇位継承をめ
    ぐる争いの種が尽きぬのであろうか」
     
    安仁、舞台中央より上手へ、歩を進める。

 ○安仁=「蝸牛(かぎゆう)の角(つの)の上に何事(なんごと)をか争う

   《能管 カケリ》

    川人、つづいて舞台中央より上手へ、歩を進める。

 ○川人=石火(せきか)の光の中(うち)に此の身を寄せたり」
 
 ○安仁=「なにはともあれ、我が国日本は、帝おひとりがお治めになる国。先帝はすでに崩御
    された。いまや、新帝によって先帝のみささぎの地を定めよ、との勅定(ちよくじよう)
    が下っておるのだ。そこで決してあってはならぬ過ちがあったとすれば、勅使安倍安仁、
    いさぎよく死をもって購(あがな)わな くてはならぬ」

 ○川人=「あれこれの穿鑿(せんさく)はご無用! 命あっての物種(ものだね)! すでに背後
    に地(つち)の神の追っ手の、荒々しい息づかいがいたします。しんじつ遁れ難いことな
    がら、こうしてもおられませぬ。かくなるうえは一刻も早く貴殿の身をお隠しする方法
    を構えてみることといたしましょう」

    《笏拍子》

   安仁、上手で止まる。

 ○安仁=「むむ、我が命、是非もない、汝、陰陽頭に預ける。よしなに頼むぞよ」

    川人、つづいて上手で止まる。

 ○語り手=川人は咳払いしておのれの馬を遅らせ列を振り返ると、厳かな声で下知(げじ)した。
 ○川人=「もの申す、もの申す。大納言殿のお指図であるぞ。後ろに遅れている方々、われら
    に構わず皆々急ぎ先に行くがよい」
 ○語り手=その声に後続の一行は頭立(かしらだ)つ二人を追い抜き、洛南稲荷山の山裾に広が
    る薄野(すすきの)の彼方に小さくなっていった。
      重く垂れ込めた雨雲に閉ざされた空から、さらに覆いかぶさるように暗闇が押し寄せ
    てきた。その闇に乗じて大納言も川人も馬を降り、馬の尻を前に押しやると、

   安仁、川人、下馬し、馬をおしやる体。

 ○語り手=馬は軽くなった鞍を置いたまま連れ立って視界から消えた。蹄の音も絶えた

   《かすかに太鼓の音》

 ○語り手=すでにあたり一面は漆黒の闇であった。野の道から外れ、田の中にじっと留まって
    いた二人であったが、やがて川人は手でさぐり当てた大納言をその場に坐らせ、田に苅
    り置かれていた稲束を頭 から肩にかけて、つぎからつぎへ堆く積み上げていった。

  ■舞台正面上部のスクリーンに五芒星の図像を映写。

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 ○語り手=それから一本の稲を左手で選び取り、その茎を二つに折り、北に向かっておのれの
    位置を定めてから地上に置いた。

 ○川人=「諾(はい)。皐(ああ)。太陰(たいいん)将軍よ。独り曾孫(そうそん)王川人にのみ開
    き、外人(がいじん)には開くなかれ。もし人の川人を見るあらば、以て束ねたる薪(たきぎ
    )となさん。川人を見ざる者は、以て人に非ずとなさん」

  ■闇の声=乱声(らんじょう)

   《笛の乱声》

   《太鼓の音しだいに高くなる》

 ○語り手=つぎにやおら左手で土をつまみ上げ、人中(じんちゆう)、すなわち鼻と口の間
    の細長い溝につけ、右手で稲束の一つをかぶった。それが済むと 次は禹歩(うほ)の法を
    もってその周りを巡りながら、声を押し殺し、九字(くじ) の呪文を唱えはじめた。

 ○川人=「臨(りん)・兵(びよう)・闘(とう)・者(しや)・
      皆(かい)・陣(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん) 」
     「臨(りん)・兵(びよう)・闘(とう)・者(しや)・
      皆(かい)・陣(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん) 」
     「臨(りん)・兵(びよう)・闘(とう)・者(しや)・皆(かい)・
      陣(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん) 」

 ○語り手=最後に、烏帽子も振り落とさんばかりに激しく四縦五横に手刀(てがたな)を切った
    かと思うと、稲束の山をざっと引き裂いて大納言の坐している結界に向かって飛び込ん
    だ。

    《笏拍子》

  ■五芒星の図像を消し、
  ■フェード・アウト

 ○語り手=二人は互いに藁をもつかむ思いで抱き合った。俄作りの稲束結界の暗闇の中、呪文
    の主は土色の顔をして、わなわなと震え、大納言は半ば死んだような心地になっていた。

   《嵐のごとき太鼓の音》

 ○語り手=こうして息を詰め身動(みじろ)ぎ一つせず坐っていると暫くして耳を聾(ろう)する
    ばかりに千万の人の足音が過ぎて行った。その後(のち)あたり一面に この世ならぬ気
    味悪い異臭が漲った。
 ○闇の声=「行き過ぎてしまったようだぞ」
 ○語り手=という声を聞いた者どもが、再び返ってきてわやわやと言い騒いでいるのを聞けば、
    人の声に似ているようだが、さすがに人のものではない。人語ならぬ声が口々に言う。
 ○闇の声=「よいか、われらが追う者はこの附近で馬の足音が軽くなっている。されば二人が
    身を寄せる隙間もなく土を一、二尺掘り、徹底的に捜し求めるのだ。地中にうごめく虫
    一匹、絶対に見逃しては ならぬ。きゃつらがいくら身を隠そうとしても無駄なことを思
    い 知らせるのだ。
     なにしろ川人は、古(いにしえ)の陰陽師に劣らぬ切れ者だ。通り一遍の探 索の網には
    かからぬ。目に見えぬ隠形(おんぎよう)の方術を弄(ろう)しているのだ。
     だがいくら秘術を尽くそうと、決して、決して、きゃつらを見失うことがあってはなら
    ないぞ。探せ、探せ、石を割り、草の根 分けてでも、必ず探し出すのだ」
 ○語り手=言い罵る声は目に見えぬ津波の如く轟として、無人の深草の地に充ち満ちた。
     …長い時が経過した…。やがて四方から
 ○闇の声=「どうしても見つからぬ」
 ○語り手=と言い騒ぐ声が湧きおこった。するとついに主人と思しき者の声が聞こえた。土公
    神、地(つち)の神、であろうか。
 ○土公神=「役立たずな者どもじゃ。まあよい。たとい今はそうであったとしても到底隠れお
     おせるものではないぞ。今日は、世に聞こえた 川人一流の隠形(おんぎよう)の方術が
     功を奏したかもしれぬ。だがこのまま見 いださずにおいて済むものか。
     くそっ、忌々しい川人め、よいか、ようく覚えておけ。
     めぐり来(きた)る今年の大晦日の夜、一天下(いちてんが)の下(もと)、土(つち)の下(した)、
    上は空、 われらは目の届く限り捜し求める。
     安仁ならびに川人の奴原(やつばら)、どこまで隠れおおすつもりか。今日 はこれまで
    としておく。者ども、大晦日の夜の結集のこと、ゆめ ゆめ忘れてはなるまいぞ」

   《嵐のごとき太鼓の音》

 ○語り手=恐ろしい予告の声ととともに、地響きがすると、たちまちゆっさゆっさと大きく地
     面が揺れ出した。川人は必死に呪文を唱え、

 ○川人=「臨(りん)・兵(びよう)・闘(とう)・者(しや)・
      皆(かい)・陣(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん) 」
     「臨(りん)・兵(びよう)・闘(とう)・者(しや)・
      皆(かい)・陣(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん) 」
     「臨(りん)・兵(びよう)・闘(とう)・者(しや)・
      皆(かい)・陣(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん) 」

 ○語り手=大納言もまた懸命に三密を唱えた。
 ○安仁=「オン シュダ シュダ」
     「オン シュダ シュダ」
      「オン シュダ シュダ」

   《太鼓の音、遠のきつつ消える》

  どれほどの時が経ったであろうか、千万の足音は潮が引くように去っていた。

 ■フェード・イン

  下手幕の内より童の「かごめかごめ」が聞こえる。

 ○童  かごめ かごめ かごのなかの鳥は
     いついつでやる 夜明けの晩に
     つるとかめが つっぺった
     うしろの正面 だあれ

 ■舞台正面上部のスクリーンに五芒星の図像を映す。

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└──────┘

 《鶏の声 ふた声」》

 ○語り手=一番鶏が高らかに鳴いた。鶏鳴、丑(うし)の刻(こく)である。依然として闇は深か
   った。がしかし、鶏鳴は陰と陽の逆転を示す天の合図であっ た。しだいに山の端が明るく
   なってきた。

   安仁、川人、ともに立ち上がる。

 ○語り手=安仁と川人は稲束を急ぎ押しのけて胸一杯に冷たい夜気を吸い込んだ。しかし大納
    言は、依然として生きた心地もないままに陰陽頭に訊ねた。
 ○安仁=「慈岳の川人殿よ、辛うじて今夜はそなたの遁甲(とんこう)の方術により、恐ろしい
    魔の手から遁れ得た。そして最後は鶏の声に救われたのだが、われらはじつに、尋常の
    世にはあり得ない、陰と陽のはざまにある、魔の時から生還したのだ」

 ■舞台正面上部のスクリーンに「五芒星」の図像を映す。
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 ○川人=「しんじつまこと、奇跡的に生還したのでございます」
 ○安仁=「いっさいは、有り得べからざる『夜明けの晩に起こった出来事』。
    夢といえば夢、現実(うつつ)といえば現実(うつつ)。そして唯一確実なことは、われら
    は今も姿の見えぬ土公神、地(つち)の神、の足音に追われていること。今このように生
    きている姿じたいが、所詮『遁るる術もなき、かごのなかの鳥』に過ぎないのだ」
 ○川人=かごのなかの鳥、われらの命にたしかな明日はございません」
 ○安仁=恐ろしい生死(しようじ)の境はいまだ定まっておらぬ。いったい全体どうしたらよい
    のか。遊行する土公神、地(つち)の神が追及探索の手を絶対に緩めないのであれば、妻
    子の住むこの都はおろか、夷(えびす)のわだかまる鄙(ひな)の地にいたるまで、われら
    が遁れる天地は何一つない。あるいは麿は、あの魔の時、無慙(むざん)に取り殺されて
    いたほうが仕合わせであったろうか」
 ○語り手=川人は首をつよく横に振って答えた。
 ○川人=「どうぞお気を強く。決して諦めなさいますな。地(つち)の神の脅迫はいざ知らず、
   われらの命は天の神から授かったものと思し召されよ。
     さて、殿も、結界のなかにあって地(つち)の神の言葉を、しかとお聞きなされたはず。
   さればこそ、死の予告を受けた今年の大晦日の夜は、 たれにも知られることなく、われら
   二人、ただただ飽くまでも生き 抜くことへの執着(しゆうぢやく)を力に、なんとしても隠
   れおおさなければなりません。
     現在は九月。いずれその時が近くなりましたならば、次なる遁甲の方術について、詳し
   く申し上げることといたしましょう」
 ○語り手=大納言と陰陽頭はそれぞれの冠、烏帽子にかすかに稲の香を残したまま、心中にそ
    れぞれ異なる思いを抱いて、ただ黙々と歩い た。

 ■舞台正面上部のスクリーンに「賀茂川」の図像を映す。

┌───────┐
│ │
│ │
│ │
│ │
└───────┘
     
   朝日があまねく平安の都を照らしはじめた。とおく賀茂川が白 い光の帯のように光った。
   河原には見覚えのある鞍をつけたまま、 主人を待って、のんびり草を食(は)んでいる二
   頭の馬がいた。
 
   安仁、川人、馬をとらえ乗馬、右手に手綱の体で、ゆっくり歩を進め、下手に消えてゆく。

 ○語り手=二人は各自の馬に藁のように疲れた身をゆだねると、それぞれの屋敷のある方角を
    目指し帰っていった。ようやく目覚めた都大路を、淡くにじんだ影絵の如く……。
   ……今昔物語集巻第二十四 慈岳川人、地神(つちのかみ)に追わるる語(こと)第十三より。

 ●幕おりる



    平成二十四年十二月二十四日/第五回明窓舎コンサート初演  於銀座かねまつホール
   

     Ⅰ 能舞「イシス」(埃及の聖母子) 

  
アイ かやうに候者は、エジプトの支配者、神々の中の神、オシリス様に仕へ
  奉る、トトと申す者にて候。さりながら、わがオシリス様、凱旋の祝宴
  に、弟君セト様のはかりごとにて、敢へなく世を去りて候。

  まこと痛ましきは、残されし妻イシス様と、おさな君ホルス様にて候。
  いましもな君ホルス様は、母君のおん膝に座し、おん胸に抱かれ
  て御座候。
  世の人々、この優しくも美しき有様をひそかに拝し、有難き、埃及
  聖母子、と讃へ居り候。

シテ   一粒の麦 オシリスの
        死にて残せし おさなご ホルスよ
        とりもどしたまへ 緑のナイルを 

    アトゥム・ケプリ
        

      聖母之舞(シテ 採物/ハトホル型シストラム)

    シテ  エジプトの 大空めぐる 太陽の船 
    地   大空めぐる 太陽の船  たぐり寄せ 
        ファラオとなりて 国おさむべし

  (物着

 
 [笛]
    シテ   われ ホルス はやとなり 

  隼之舞(シテ 採物/バステト型シストラム)

   シテ  父オシリスの 
   地   うち ナイルなびかせ 空り 帰りけり
   シテ  果て 平和来たれば 神奈備
  
 地    平和来たれば  神奈備の 
        ピラミツド うち立てて 永遠
   シテ    いのちのかたち あかさんと 神々の
         神々の き子孫 ファラオとなりて 
       うつせみの世に 獅子王さながら
       不滅の王冠 燦然と 輝かせ
       げに雄々しくも 天降り
       げに雄々しくも 天降りて
       王家の丘に 立ちにけり

                                                                    アトゥム・ケプリ =日の神


                Ⅱ 朗読/音楽劇「イシスの泪」

   ♪【オシリスのテーマ 

   【オシリスの歌

   旅人と その名呼ばれし オシリスよ
         エジプトの みちのくに 麦を蒔き 麦を実らす
 
         オシリスの歌 国々に こだまして
         ロータスの花 金銀と 象牙の上に 咲き匂う
 
         大地には 砂と緑と ナイル河
         天空 翔る隼 黄金虫 雲間に光る
 
         太陽の船 日月に 棹さして
         イシスの愛に 満ちし国 かの故郷に ひた走る  

    ♪オシリスのテーマ

    【耳を澄ませよ
         大地に 落ちる
         一粒の麦

   耳を澄ませよ おお
         その音に
   
     わが イシス

         愛の花

     ♪オシリスのテーマ

        【セトの宮殿 エチオピアの女王、居並ぶ七十二名の部族長】
   我が兄、あらたにエジプトの大地に豊穣をもたらし、莫大な財宝とともに凱旋した
  オシリスよ。長い歳月待ちかねていた民は歓喜に酔い痴れ、賞讃の声は日夜わかた
  ず渦巻いている。賢く美しい妻イシスへそそぐ愛情がさらに大きな共感となって、
  民の心をこの上なく幸せなものとしている。我が兄の、このまごうかたなき偉大な
  る遠征の成果は認めよう。
  しかしその、イシスを助け、国を守ったのは弟のこの、セトである。
  歴史の闇、りは必ずされなければならないのだ。とりわけ神聖な神の国、
  このエジプトにおいては。

    【偉大なるアギオス(コプト音楽)】

     【豊穣と破壊、名声と嫉妬。切っても切れない宿命の両輪】

  我が兄上、その神聖な神の国における尊き系図はかくの如し。……宇宙の根源なる
  原始の水ヌンよりみづから生まれ出でし最初の一柱の神アトゥム……両性具備にし
  てのかたちせしアトゥム神、水に浮かぶ原始の丘を造れり。この神より生まれし
  二柱
の神、兄の名はシュウすなわち大気にして風、そして妹の名はテフネトすなわ
  ち湿気にして雨。……その二柱の神のに生まれしゲブとヌト。兄ゲブは大地を支
  配し妹ヌトは天空を支配す。……さらにその二柱の神のにまず生まれし神の名こ
  そはオシリス、我が兄上。かくの如く神々の栄光を一身に受けたり。

   ♪【偉大なるアギオス(コプト音楽)】

  兄上は全エジプトを統治すべくナイルの悠久の流れに沿って遠征に出られた。伝え
  聞くところ、異郷の地にあって恐るべき霊力をもった(を相手に、時に戦い、時に
  手を結び、城を築き都市を造り、麦を蒔き収穫の喜びを教えた。そしてたえず神々
  を敬い、仕えるよう諭された。楽団と合唱隊をしたがえみづからナイルを讃え、
  うたったその歌は……
 

    ♪【オシリス独唱後 オシリスの先導で合唱】

  【おおナイルよ
       おおナイルよ。
       エチオピアよりエジプトへ
       流れ下るナイル、永遠の大河。
       なんじは緑、いのちの色、緑のナイル。
       おおナイルよ。
       なんじは緑、エジプトのいのちなり。 

 なんと気高くも雄々しい歌でございましょうか。兄上がこの歌をうたいつつ、戦い耕
 した月日が、いま目の前にすがたかたちを変えながら流れゆくようでございます。エ
 チオピア女王たるアソ陛下におかれましてもさぞかしご満足かと拝察いたします。

【エチオピア女王、うなずき、扇より初めて顔をあらわす】

    我がエジプトの支配者、神の中の神なる高貴な兄上、例によって例の如く愚かな弟の
 心ばかりの祝宴、万事行き届かぬところはどうぞご寛恕のほどを。さて最後にひとつ
 余興がございます。どうぞ最後までごゆるりとお楽しみくださいませ。

     ♪【華やかな音楽(コプト音楽)】↓

  限りなく青く澄みわたった大空の下、迎えた今日の佳き日、の呼びかけに応じエ
  ジプト各地から集まった七十二名の有志、部族の旗を掲げ持った有力なる諸侯よ、
  しかと見るがよい、あそこに燦然と輝いているのは金銀宝石をちりばめ、舶来のラ
  ピスラズリで彩った箱である。狩に疲れ、酒の酔いがまわったからだを休めるには
  恰好の箱とは思わないか。もしぴたりと寸法の合ったものがおれば、たちどころに
  その者に進ぜよう。遠慮はいらん。おのおの方いざ試されい。

         【箱はだれにも大きすぎた。求められ、最後にオシリスが入る】

   ♪【華やかな音楽(コプト音楽)】↑

  兄上、まさしく箱の寸法と一分もたがいません。さあ女王陛下もどうぞお近くまで
  (万事陛下の仰せ通りの寸法に仕組みました)。

    【エチオピア女王、近寄り、扇で顔を隠す】

  ♪【イシスの泪 前奏】

  どうぞごゆるりと(永遠に)お休みなさいませ。        
  【楽隊去り諸侯声を潜める。箱をのぞくセト。オシリスの寝息】

    眠ったぞ。蓋をしろ釘を打て。         
   【部族長、箱に走り寄り、激しく釘を打つ】

  これこそオシリスの棺! 運んでタニスの河口へ流せ。

  【部族長がオシリスの入った箱を引くところで暗転】

  イシスの泪
    天と地の果て 流れるナイル
    日輪は欠け 漂う棺
    探し求める パピルスの舟 
    渇れることなき 悲しみ湛え
    イシスの泪 降りそそぐ夏 
    語るべからざる ものを見るべし

    よみがえる死者 命をうたう
    神の指さす 生と死の淵
    今こそ見える あなたの姿
      生と死の淵
    今こそ見える あなたの姿 

  我が夫オシリスが死んだのは月の十七日、満月の欠けるさまはだれの目にも明ら
  かな日のことでございました。夫を箱に閉じ込め息の根を止める秘密の計画は、
  ひそかに夫の身の丈を測ってセトに内通したエチオピアの女王の協力によって成
  し遂げられました。言い換えれば、女王は南の風、その風の力によって、ナイル
  に恵みの雨をもたらす雲の動きを妨げたということになるのでございます。やが
  てオシリスの棺はナイル河を出て地中海に臨むビブロスに流れ着いたという風の
  噂がありました。わたしはようやくのことで探し求めエジプトに持ち帰り隠して
  おきました。しかし今やエジプトの支配者となった弟セトに発見され、奪われた
  遺体は十四の部分に切り刻まれ、エジプト全土にまき散らされてしまいました。

    ♪【情景音楽】

  わたしは歯をくいしばってナイルの隅々までパピルスの舟を漕ぎ、一つひとつ拾
  い集めたのでございます。妹ネプチュスの助けを受け、遺体をつなぎ合わせた後、
  わたしは復活の秘儀をおこない受胎いたしました。しかしオシリスはその時、も
  はやこの世に存在する場所を永遠に失ってしまったのでございます。まもなく愛
  の結晶、おさなごホルスが誕生いたしました。わたしの膝の上で安らかに眠って
  おります。指をくわえ巻き毛も可愛らしいホルスでございます。


     【おさなごホルスよ
   おさなご ホルスよ
     なんじの 父は
   冥府の 神と
   なりし オシリス

   なんじは 隼
     太陽と 月の
     目をもち 敵を
   襲い 滅ぼせ

   エジプトの闇
     いかに深くとも
    明けない朝は
    かつてなかった

     【間奏】

   あらたな 世継ぎ
     偉大な ファラオ  
   神の世を 人の
   世に 継ぎし者

   わたしはイシス おさなご膝に
   そそぐ泪は ナイルうるおし
   人々の幸 みちびくために
   みちびくために

   ♪【後奏】

  巻き毛のホルスは成長し、その長きにわたって全エジプトの支配者セト、父の
  にむかって果敢に挑みつづけてまいります。

    【トト神のテーマ/Ⅰ】

  冥府の神オシリスに仕え、死者の運命を記録する神トト、文字と数字の発明者にし
  て知恵の神トトよ、なんじ深く銘記すべし。愛と正義はわたしの血と肉。この世に
  オシリスなき後はホルスこそ唯一無二の後継者たり。神の世を人の世に継ぐ者は他
  にあらざるべし。

    【トト神のテーマ/Ⅰ】

  イシスとホルス、わたしたちはこうして神の世と人の世を結ぶ聖母子となりました。
  この世に偽りと嫉妬、破壊と堕落があるかぎり、愛と正義の戦いの尽きる日はあり
  ません。しかしいか なることがあっても、愛と正義の神が負けることはないのです。
  戦いの行方はひたすら神の正統性によってのみ決するのでございます。

       【トト神のテーマ/Ⅱ】

  冥府の神オシリスに仕え、死者の運命を記録する神トト、文字と数字の発明者にし
  て知恵の神トトよ、なんじ深く銘記すべし。愛と正義はわたしの血と肉。

    ♪【トト神のテーマ/Ⅱ】

     ♪【前奏 オシリスのテーマ

   後世このエジプトの地を出て、再び聖母子が姿を現わすとき、その名はマリアと
  キリスト。いままさに預言者は告げております。明日、神の子キリストが生まれるで
  あろうと。

      ♪【聖夜のオルガン音楽「讃美歌96/エサイの根より】


   
          平成二十二年十二月二十五日 於千曲舞台「朔之会」研修会             
          「川本喜八郎の世界」~能楽と人形劇との関わり~ 資料            
      
     川本喜八郎年譜 『別冊太陽 川本喜八郎』/平凡社刊(2007)年譜参照      
大正十四年 (1925)
昭和十九年 (1944)
 

昭和二十年 (1945)

昭和二十一年(1946)
昭和二十五年(1950)

昭和二十七年(1952)

昭和三十二年(1957)

昭和三十八年(1963)
昭和四十年 (1965)
昭和四十三年(1968)

昭和四十五年(1970)
昭和四十七年(1972)
昭和五十一年(1976)
昭和五十四年(1979)
昭和五十六年(1981)

平成十二年 (2000)
平成十四年 (2002)
平成十五年 (2003)


平成十六年 (2004)
平成十七年 (2005)
平成十八年 (2006)



平成十九年 (2007)
平成二十二年(2010)
0歳、東京千駄ヶ谷に生まれる。 
十九歳、旧制横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)建築科で学ぶ。在学
中、勤労動員で旧満州に渡る。
二十歳、二月、任官、建技少尉。東京、天翔航空師団司令部に配属。
二十一歳、東宝入社。東京撮影所勤務。
二十五歳、東宝争議に巻き込まれ解雇。フリーの人形美術家となる。
二十七歳、チェコスロバキアの人形アニメーションの巨匠、イジィ・トル ンカの長編映画「皇帝の鶯」を税関試写室で観て、衝撃を受ける。
※三島由紀夫「道成寺」(『近代能楽集』)
三十八歳、イジィ・トルンカを訪ねて、旧チェコスロバキアに自費留学。
四十歳、初の自主制作作品「花折り」の制作に取りかかる。
四十三歳、初めての自主制作作品・人形アニメーション「花折り」完成。 ルーマニア・ママイヤ国際アニメーションフェスティバルで銀賞を受賞。
※三島由紀夫割腹自殺(川本喜八郎と同年生まれ)。
四十七歳、人形アニメーション「鬼」を自主制作。
五十一歳、人形アニメーション「道成寺」を自主制作。
五十四歳、人形アニメーション「火宅」を自主制作。
五十六歳、「火宅」がブルガリア・バルナ国際アニメーションフェスティ バルでグランプリ受賞。
七十五歳、人形アニメーション「死者の書」の絵コンテ仕上げにかかる。
七十七歳、人形アニメーション「死者の書」の準備始まる。 
七十八歳、人形アニメーション「死者の書」のサポーター募集のため、川 本作品上映会を飯田市文化会館で開催。多摩美術大学で毎週土曜日三時間、アニメーション講義。                        
七十九歳、人形アニメーション「死者の書」、多摩美術大学で撮影開始。
八十歳、人形アニメーション「死者の書」撮影完了、文化庁試写。クロア チア、ザグレブで国際審査員特別栄誉賞受賞。
八十一歳、人形アニメーション映画「死者の書」が岩波ホールで八週間公 開。文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞。第三回中国国際アニメーション& デジタルアーツフェスティバルで「死者の書」長編グランプリ受賞。   八十二歳、飯田市川本喜八郎人形美術館オープン。
八十五歳、八月二十三日死去。

                
                 紹介要旨

師走恒例、一年を漢字一字で表す京都清水寺の行事で貫主が大書したのは「暑」。
今夏は記録破りの暑さで多くの人が亡くなった。八月二十三日には、日本を代表する世界的アニメーション作家・人形美術家、川本喜八郎が世を去った。大正十四年生まれ、八十五年の生涯であった。
戦後の経済復興のなか、雑誌・テレビ業界の仕事で評価され多忙を極めていたが、東京オリンピック前の昭和三十八年、三十八歳のとき、チェコのイジィ・トルンカのもとに自費留学。「ここで人形とは何か」という根本問題に向き合う。帰国後、自主制作作品を発表し始める。

○人形アニメーション「花折り」 原作・京都壬生狂言「花折」

「花折り」=イジィ・トルンカの「日本には文楽や能のような様式的な演劇の表現があるではないか」との示唆を受けて制作した最初の作品。京都では「壬生さんのカンデンデン」で親しまれている宗教無言劇(パントマイム)。

○人形アニメーション「鬼」   原作・今昔物語
○人形アニメーション「道成寺」 原作・能「道成寺」
○人形アニメーション「火宅」  原作・能「求塚」本説/万葉集第九・大和物語

「鬼」=「人の親のあまりに年老いたものは必ず鬼となって子でさえも喰うようになるものである。なんと恐ろしいことではないか、と語り伝えられた。今昔物語より」で終わる。老いた母の顔は「深井」「姥」の能面がモデル。人形浄瑠璃・鶴澤清治が出演。
「道成寺」=「道成寺縁起絵巻」で鐘の中から白骨が出てくるシーンを見て、この表現はアニメーションでしかできないと川本は思った。
「火宅」= 外国で上映したとき、「なぜ処女は苦しまなくてはならないのか。美しかったための原罪ではないか」と問われて、キリスト教的解釈もおもしろいと川本は思った。旅僧が摂津国生田川で伝説の求塚を探す。菟名井処女(うないおとめ)への小竹田男(ささだおのこ)血沼丈夫(ちぬまますらお)の激しい求愛。その鴛を射殺す若者。悲しむ処女の入水。後を追った若者の刺し違いの死。火宅にあって五百年もの間、絶望的な火の責め苦に遭い続ける処女。

「鬼」「道成寺」「火宅」の不条理三部作には生と性への執心がおぞましいほどに渦巻いている。多感な青年期に刻印された戦争の記憶と無関係ではないであろう。

○長編人形アニメーション「死者の書」  原作・折口信夫「死者の書」
        クレジットタイトル音曲 能「當麻/謡・観世銕之亟(八世)
                         笛・藤田大五郎」

             藤原南家の郎女  宮澤りえ
             大津皇子     観世銕之丞(九世)
             ナレーション   岸田今日子

「死者の書」=原作には硫黄島で戦死した養子・藤井春洋(はるみ)に寄せる折口信夫の哀惜と再生への思いが底流にあるといわれている。
〈「死者の書」は魂の救済の物語です。僕の集大成といってもいい作品です。執心の先にある解脱を描ききれたと思うからです。今の時代を生きている日本人のこころの伝統、根源的な力のよみがえりになったとしたら有り難いことです。高度経済成長時代に作っていたら、大失敗していました。「日本人が何であるか」という問いは、おそらく観客に受け入れられなかったせしょうから。〉と川本は述べた。

資料の年譜に組み入れた三島由紀夫は同年生まれ。川本の大学の後輩にあたる齋藤
仁は若い頃に川本の知遇を得て、新宿2丁目のゲイバーにしばしば連れてゆかれ、
そこで三島を紹介されたという。寺山修司や天井桟敷の仲間たちも加わっていた。
三島の「道成寺」〈『近代能楽集』〉(1957)と人形アニメ「道成寺」(1976)を比較すると両者の古典解釈の方法論における方向性の相違がよくわかる。三島は仮面劇としての能を否定することによって近代の能を可能にした。
三島はその後、創作のかたわら自身の肉体と精神を鍛えていった。英霊と同化し、自身の生涯を劇化するためであった。昭和四十五年(1970)十一月二十五日『豊饒の海』を書きあげた直後自衛隊市ヶ谷駐屯地に盾の会青年有志を率いて乱入、自衛隊にクーデター決起を促した。受け入れられず割腹、英霊日本に節を捧げ、殉死を遂げた。愛と美と死の三島美学は三島自身の劇的な自決によって、サムライ・ハラキリ・カミカゼの武士道と軍国主義の実在を印象づけ、世界中を震撼させた。
川本は一方、中世の縁起絵巻を現代アニメに蘇生させ、二次元表現における能の生命力を実証したが、その前後の「鬼」と「火宅」に注目しておく必要がある。そこで追求されたのは、生と性への執心であった。おどろおどろしいまでの不条理の構図の底流には、今次大戦の深刻悲惨な事実とその記憶に通じるものがある。三島と同年に生まれ、戦時日本と戦後日本の実相を見届けてきた川本は、折口の「死者の書」、大津皇子の英霊を藤原南家の郎女の祈りと行動が救済する物語、を人形を通して古代から現代へ連綿とつらなる怨念・執着の此岸からの解脱を具現した。

三島の直截と川本の悠遠。それは芸術の最終表現に用いたもの、即ち肉体と人形との違いであった。〈人形とは「神と人間との間にあるもの」〉と川本は定義した 。
 


MUSICA SAKURA 2006
Traditiona Japanese Music and Dance

University of Wisconsin-Madison
Japan House, University of Illinois
Universalist Unitarian Church, Peoria
Japan Information Center, Consulate General of Japan, Chicago

 MUSICA SAKURA 2006
Edited and translated by YAMAMOTO Hiroko and MATSUBARA Michiko
Copyright : MUSICA SAKURA
JAPAN FOUNDATION〈国際交流基金〉


昇華は根岸弘による以下の詩を元に即興演奏される。

昇華
ー雪月花の舞に寄せてー

  微かな鈴の音に 朝が目覚める。 薔薇色の光に 人は目覚める。
 人は生き、人は恋する。
  春 花の精に 人は恋する。
   夏 月の光に 人は嫉妬する。
     人は生き、人は嫉妬する。
               秋 舞う枯葉に 人は歌う。
               冬 積もる雪に 人は祈る。
     人は生き、人は祈る。
幽かな鈴の音に 夜が眠る。 群青色の闇に 人は眠る。



Shoka is an improvisational work based on
              the following poem by NEGISHI Hiroshi              


Shoka-The Dance of the Seasons

Mornig awakens to the faint tinkling of bells.
I awaken to the rose colored light.       
       I live,I love.        
   In spring,I fall in love with the spirit of the flowers.
   In summer,I am envious of the light of the moon
       I live,I am envious.
              In autumn,I sing to the dancing leaves.
              In winter,I pray to the falling snow.
       I live,I pray.          
The night sleeps in the misty tinkling of bells.
I sleep in the deep blue darkness.        
 

Translated into English by MATSUBARA Michiko〕






平成十八年 横浜三渓園 於/旧燈明寺本堂
                     

朗読 壇之浦


       根岸 弘 構成・演出

 
舞台中央に高見台と椅子一脚】  


     《読み手、須彌壇右手より登場。内陣の十一面観世音前に坐し、観音経を読み礼拝》

  世尊妙相具 我今重問彼
  仏子何因果 名為観世音
  具足妙相尊 偈答無尽意
  汝聴観音行 善応諸方所
  弘誓深如海 歴劫不思議
  侍多千億仏 発大清浄願


     《読み手内陣を出、高見台の前の椅子に着席》

     【須彌壇の背後より、かすかな振鈴の音、次第に大きく、やがて静かになって消える】

  


  祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
  沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。

     【笛】

  驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
  猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。


     【笛 平家物語の深い哀調を表す旋律からなる前奏】

  元暦二年三月廿四日の卯剋に、門司・赤間の関にて源平矢合とぞ定めたる。

     【笛 ゆったりと吹く】

  さる程に、源平の陣のあはひ、海のおもて卅余町をぞへだてたる。門司・赤間・壇の浦はたぎ
  つて落つる潮なれば、源氏の船は潮に向かふて、心ならず押し落とさる。平家の船は潮に逢う
  てぞ出で来たる。


     【笛】

  すでに源平両方陣を合はせて時をつくる。上は梵天までも聞こえ、下は海龍神も驚くらんとぞ
  覚えける。新中納言知盛卿船の屋形に立ち出で、大音声を上げてのたまひけるは、
  「いくさは今日を限り、者ども、少しも退く心あるべからず。天竺・震旦にも我が朝にも並び
  なき名将勇士といへども、運命尽きぬれば力及ばず。されど名こそ惜しけれ。


     【笛】

  東国の者どもに弱げ見ゆな。いつのために命をば惜しむべき。是のみぞ思ふこと」とのたまふ。
  其後 源平たがひに命を惜しまず、おめき叫んで攻めたゝかふ。いづれ劣れりとも見えず。さ
  れども、平家の方には、十善帝王、三種の神器を帯してわたらせ給へば、源氏いかゞあらんず
  らんと危なうおもひけるに、しばしは白雲かとおぼしくて、虚空に漂ひけるが、雲にてはなか
  りけり。主もなき白旗ひと流れ舞ひ下がつて、源氏の船の舳に棹付けの緒のさはる程にぞ見え
  たりける。
  判官、
  「是は八幡大菩薩の現じ給へるにこそ」
  と喜んで、手水うがひをして、是を拝し奉る。兵ども皆かくの如し。又源氏の方より海豚とい
  ふ魚一二千這うて、平家の方に向かひける。


     【大・小鼓 源氏の勝利を予兆する明朗闊達な緩調】

  さる程に、四国・鎮西の兵ども、みな平家にそむいて源氏につく。今まで従ひ付いたりし者ど
  もも、君に向かつて弓をひき、主に対して太刀をぬく。かの岸に着かむとすれば、敵 矢をそ
  ろへて待ちかけたり。

     【笛】

  一の谷を攻め落とされて後、親は子に遅れ、妻は夫に別れ、沖に釣りする船をば敵の船かと肝
  を消し、遠き松にけむれる鷺をば、源氏の旗かと心を尽くす。さても門司・赤間の関にて、い
  くさは今日を限りと見えしかば、……

     【大小鼓 合戦の修羅場面を表す烈しい急調】

  源氏の兵ども、すでに平家の船に乗り移りければ、水主楫取ども、射ころされて、斬りころさ
  れて、船を直すに及ばず、船底にたふれ伏しにけり。
  新中納言知盛卿小船に乗つて御所の御船に参り、
  「世の中は今はかうとぞ見えて候。見苦しからん物どもみな海に入れさせ給へ」
  とて、艫舳に走りまはり、掃いたりのごうたり、塵ひろひ、手づから掃除せられけり。
  女房達「中納言殿、いくさはいかにやいかに」口々にとひたまへば、「めづらしきあづま男を
  こそ御覧ぜられ候はんずらめ」とて、からからと笑ひたまへば、「なんでうのただいまのたは
  ぶれぞや」とて、声々におめき叫び給ひけり。
      
     【笛 須彌壇の背後より女房達の悲痛な声声わき起こる。】

     【一の声 嗚呼、恐ろしや、恐ろしや。嗚呼、恐ろしや。】
     【二の声 悪七兵衛、何をしてをるのぢゃ。早う判官の首を討ち取らぬか。】
     【三の声 阿弥陀仏、阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。】
     【四の声 さても知盛中納言殿、お上を、お上をばいかに……】

  二位殿はこの有様を御覧じて、日頃おぼしめしまうけたる事なれば、にぶ色の二つぎぬうちか
  づき、練り袴のそば高く挟み、神璽を脇に挟み、宝剣を腰にさし、主上をいだきたてまッて、
  「わが身はをうななりとも、かたきの手にはかゝるまじ。君のおん共に参るなり。おんこころ
  ざし思ひ参らせ給はん人々は、急ぎ続き給へ」とて、船ばたへ歩み出でられたり。
  主上はことし八歳にならせ給へど、御年の程よりはるかにねびさせ給ひて、御かたち美しく、
  あたりも照りかゝやくばかりなり。

     【笛 (其の一) 安徳天皇を暗示する高貴な旋律の間奏】

  おんぐし黒うゆらゆらとして、御せなか過ぎさせ給へり。あきれたる御さまにて、
  「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかんとするぞ」と仰せければ、いとけなき君に向かいたて
  まつり、涙をおさえ申されけるは、「君はいまだしろし召しさぶらはずや。先世の十善戒行の
  御ちからによッて、今万乗のあるじと生まれさせ給へども、悪縁に引かれて、御運すでに尽き
  させ給ひぬ。

     【笛 須彌壇の背後より振鈴の音、高く烈しく】

  先づひんがしに向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ、其後西方浄土の来迎にあ
  づからんとおぼし召し、西に向かはせ給ひて、御念仏さぶらふべし。この国は心憂き境にてさ
  ぶらへば、極楽浄土とてめでたき処へ具し参らせさぶらふぞ」と泣く泣く申させ給ひければ、
  山鳩色の御衣にびんづらゆはせ給ひて、御涙におぼれ、ちいさく美しき御手をあはせ、先づ、
  ひんがしを伏し拝み、伊勢大神宮に御いとま申させたまひ、其後西に向かはせ給ひて、御念仏
  ありしかば、二位殿やがていだき奉り、「浪の下にも都のさぶらうぞ」と慰めたてまッて、ち
  いろの底にぞ入り給ふ。

     【須彌壇の背後より振鈴の音 高く次第に静かに】

  悲しき哉、無常の春の風、たちまちに花の御姿を散らし、情けなきかな、分段のあらき浪、玉
  体をしづめ奉る。殿をば長生と名づけてながき住みかと定め、門をば不老と号して、老いせぬ
  とざしと説きたれども、いまだ十歳のうちにして、底の水屑とならせ給ふ。十善帝位の御果報、
  申すもなかなかおろかなり。雲上の龍下ッて海底の魚となり給ふ。

     【大・小鼓 ゆったり】

  大梵高台の閣の上、釈提喜見の宮の内、いにしへは槐門棘路の間に九族をなびかし、今は船の
  うち、浪の下に御命を一時に滅ぼし給ふこそ悲しけれ。

     【笛】

  残りとゞまる人々のおめき叫びし声、叫喚大叫喚の火の穂の底の罪人も、これには過ぎじとこ
  そ覚えさぶらひしか。

     【笛】
 

《中入》
【笛・大小鼓による前奏】 


       《読み手、須彌壇右手より登場。高見台の前に着座》

   今から七百年あまり前のこと、下の関海峡の壇の浦で、長らく天下の覇を争っていた源平両氏
  のあいだに、最後の決戦がたたかわれた。この壇の浦で、平家は、一門の女・子ども、ならびに、
  こんにち安徳天皇と記憶されているかの幼帝ともろともに、まったく滅び絶えてしまったのであ
  る。その後七百年のあいだ、壇の浦の海とあのへん一帯の浜べは、久しいこと平家の怨霊にたた
  られていた。あの浦でとれる、平家ガニというふしぎなカニ
  ――甲羅に人間の顔がついていて、平家の武士たちの怨霊だといわれているカニについては、わ
  たくしは別のところで述べておいたが、いまでもあのへん一帯の海岸では、かずかずの不思議な
  ことが見たり聞いたりされるのである。闇の夜に、幾千ともしれぬ陰火が浜べにあらわれたり、
  波の上をふわふわ飛んだりする。これは、俗に漁師どもが「鬼火」といっている青白い光りもの
  であるが、そうかと思うとまた、風の荒く吹きすさぶような日には、きまって沖の方から、ちょ
  うど合戦の鬨の声のような、すさまじいおたけびの声がおこったりするのである。
   昔はしかし、そうした平家の怨霊も、こんにちに比べると、もっともっとさかんに跳梁してい
  たものであった。夜、沖を通りかかる船のほとりにあらわれて、その船を沈めにかかったり、あ
  るいは海で泳ぐ者などがあると、それを待ちかまえていて、いきなり水の底へひきずりこんだり
  したものだ。あの赤間が関(現在の下の関)に、阿弥陀寺という寺が建立されたのは、つまりは
  そうした平家の怨霊を供養せんがためだったのである。寺の地尻の、海に近いところには、ひと
  くるわの墓所も設けられて、そこには、水入した天皇のみ名や歴臣たちの名前をきざんだ、幾基
  かの墓碑が立てられ、毎年忌日になると、かれらの菩提をとぶらうために、さかんな法会の式が
  いとなまれたものである 。
                                      
       【笛】

   この阿弥陀寺が建立され、いま言うような石碑が立てられてからは、さすがに平家の亡霊も、
  むかしに比べるとよほど人を悩ますことが少なくなったとはいうものの、それでもなお、どうか
  するとときどきまだ、怪異をあらわすことをやめなかった。それはつまり、多くの亡霊たちが、
  まだほんとうに成仏しきっていなかった証拠であろう。

   いまから数百年まえ、この赤間が関に、芳一というひとりの盲人が住んでいた。この芳一とい
  う盲人は、琵琶を弾唱するのに名を得ていた。琵琶をひいたり語ったりするわざは、幼少のころ
  から習いおぼえたのだが、その技は、まだ年のいかぬ少年のころから、はやくも師匠の腕をしの
  ぐほどのものがあった。くろうとの琵琶法師として、芳一はおもに源平の物語をかたるのに聞こ
  えていたが、わけても壇の浦合戦の段をかたらせると、「鬼人も涙をとどめえず」というほどだ
  ったといわれる。
   まだ名もなさぬ駆けだしのころ、芳一はたいそう貧乏であったが、さいわい、なにかとうしろ
  だてになってくれる、よい知己がひとりあった。阿弥陀寺の和尚というのが、たいそう詩歌音曲
  が好きで、ときおり芳一を寺へよんでは、琵琶をかたらせていたのである。和尚は、年わかい芳
  一の妙技にいたく執心して、のちには、どうじゃな、よかったら寺へきて住むことにしては、と
  までいってくれたので、芳一はその恩に感じて、よろこんで和尚の申し出を受けた。そこで芳一
  は、寺のひと間をあてがわれ、食事と宿を給せられたその返礼として、ほかに約席のない晩には、
  琵琶をかたって和尚のきげんをとりむすべばよい、ということになったのである。
   ある夏の晩のことであった。ちょうどその晩は、寺の檀家に不幸があって、和尚は通夜によば
  れていき、納所の小坊主もいっしょにつれていったので、芳一ひとりが寺にのこって、るす居を
  していた。むし暑い晩のことで、芳一はすこし涼もうとおもって、寝間のまえの縁先ににじりで
  た。縁先からは、阿弥陀寺の裏手の小庭がひと目に見える。芳一はその縁はなに出て、和尚の帰
  りを待っていたが、ひとりつくねんとしているのも心寂しいところから、気晴らしに琵琶をさら
  いはじめた。
   夜半もはや過ぎたけれども、和尚はなかなか帰ってこない。そうかといって寝間にはいって手
  足をのばすには、夜気のほとぼりがまだ残っているので、芳一はそのまま部屋の外に出ていた。

       【太鼓・物具を身に纏った衛士の足音をアシラウ】

   とかくするうちに、やがて裏門の方から、人の足音がこちらへ近づいてくるのが聞こえてきた。
  だれか裏庭をぬけて、縁先の方へやってくるのである。と思っているうちに、足音は、芳一のい
  るすぐ前まできて、ピタリと止まった。

       【太鼓】

   だが、それは和尚ではなかった。太い、力のこもった声が、盲人の名を呼ぶのである。いやに
  けんどんな、ぶしつけな呼びかたであった。ちょうど、侍が下郎をきびしく呼びつけるような調
  子である。
  「芳一!」
   芳一はぎょっとしたあまり、しばらく返事をしかねていた。すると、声は、ふたたびきびしく
  命ずるような調子で呼ぶのである。
  「芳一!」
  「はい!」と盲人は、相手の声高の高飛車なのに、おろおろしながら答えた。「わたくしは目か
  いの見えぬものでござります。お呼びくださいますは、どなたさまやら、いっこうにわかりかね
  まするが…」「なにも恐れることはないぞ」客は、ややことばを柔らげていうのである。「わし
  は、この寺の近くにたむろしておる者だが、ちと用ばしあってまいったのじゃ。わしのご主君は、
  さるやんごとない方におわせられるが、上にはこのたび、高位のご家来あまたひきいられ、当赤
  間が関にご逗留のみぎり、本日は壇の浦合戦の跡をばみそなわさるるとのことにて、わざわざご
  見物にわせられたが、おりもおり、上にはおぬしが合戦物の語りじょうずとお聞きおよぼされ、
  ぜひにとのご所望なのじゃ。そこでおぬし、これよりさっそくに、それなる琵琶をたずさえ、わ
  れとともども、ご高貴がたのお待ちあらるる館まで、すぐさままいるがよかろう」というのであ
  る。
   そのころは、かりにも武士の命とあれば、軽々しくそむくわけにはいかなかった時代である。
  芳一は、とるものもとりあえず、さっそくわらじをはき、琵琶をかかえて、見もしらぬその侍と
  つれだって出かけたのである。侍は、いかにも巧者に手引きをしてくれた。そして、もそっと急
  がぬかといっては、しきりと芳一のことを促すのである。引いてくれるその手は、くろがねであ
  った。そして、のっしのっしと歩いていくその足並みにつれて、戞々と物のうち鳴る音のするの
  は、身に甲胄をつけている証拠である。おそらく、宿直の衛士かなにかなのであろう。芳一がは
  じめにおぼえた驚怖の念は、しだいにしずまっていった。するとこんどは、自分のなかにたいへ
  んなしあわせでも迎えているような思いが、胸のなかにわきあがってきた。というのは、さいぜ
  んこの武士が、「さるやんごとないお方」と念を押すようにいったことばを芳一はおもいだして、
  してみると、自分の琵琶を聞きたいとご所望なさるお方は、どうやら一品の大々名さまにちがい
  あるまい、と考えたからである。

       【大・小鼓】

  しばらく行くと、侍がふいに足をとめた。芳一があたりに心をくばってみると、どうやらふたり
  は、どこかの大きな門の前にきたようすである。はてな、町のこの方角にこんな大きな門のある
  のは、阿弥陀寺の山門よりほかにおぼえがないがと、芳一が不審に思っているとき、いっしょに
  きた侍が大きな声で、「開門!」と呼ばわった。待つほどもなく、かんぬきをはずす音がして、
  やがてふたりは門のなかにはいった。だいぶ広いお庭先を通って、またなにやら入口のあるとこ
  ろまできて、そこに控えると、かの侍が大音声に、「やあやあ、たれぞ内なるもの、芳一を召し
  つれてまいりましたぞ!」といって呼ばわった。すると、いそいそと奥から出てくる人の足音、
  するすると襖のあく音、がらがらと雨戸をくりあける音がしたかとおもうと、女の話しあう声が
  わやわやと聞こえてきた。その女たちの交わしていることばをきいて、芳一は、これはだいぶ上
  つ方のお屋敷の女中衆だわいと気がついた。それにしても、自分がいったいどんなところへ連れ
  てこられたものやら、芳一にはとんと見当がつかない。が、とかくの思案をするひまもなかった。
  人の手に助けられて、五、六段の階をのぼったと思うと、その階のいちばん上のところで、履き
  物をぬげといわれ、それから女の人の手にひかれて、磨きこんだ板敷の、際限もないような長い
  廊下をわたり、おぼえきれないほどたくさんの柱の角をいくたびか曲がって、びっくりするほど
  広い畳敷きの床をとおって、やがて大広間のまんなかに通された。

       【須彌壇の背後より人々の声・低い声】

  ははあ、この大広間に、えらい方たちが大ぜいお集まりになっているのだな、と芳一は思った。
  きぬずれの音が、まるで森の木の葉のさやめきのようである。そして、おおぜいの人達がわやわ
  や何か話しあっている声がきこえる。低い声で話しあっているのであるが、そのことばはいずれ
  もみな、殿上のことばであった。
   らくにせい、といわれて、芳一がはっと気がついてみると、自分の前には、柔らかな円座がい
  ちまい敷いてある。その円座の上に座をしめて、芳一がおもむろに楽器の調子をしらべていると、
  ひとりの女の人の声が、芳一にむかって、こんなことをいうのである。その声は、おそらく、奥
  女中を取り締まるご老女とおぼしい声であった。
  「その方、ただいまよりそれなる琵琶にあわせ平家を語りきかせよとのご所望にござりまするぞ」
   ところで、ひとくちに平家といわれても、これを全曲かたるには、それこそ幾晩ものひまがか
  かる。芳一はおもいきって尋ねてみた。
  「平家はなかなかもちまして、やたすく全曲を語りつくせぬ曲でござりますが、お上には、いず
  れの段を語れとのご所望でござりましょうや」
  すると、さいぜんの老女の声がこたえた。--
  「壇の浦合戦の段をお語りなされい。あの段は、平家のうちにても、いちだんと哀れの深いくだ
  りじゃほどに」
   やがて芳一は、やおら声をはりあげて、はげしい船いくさのくだりを語りだした。--

       【笛/大・小鼓 合戦の修羅場面を表す烈しい急調(其の二)】 

  櫓をあやつる音、兵船のつきすすむ音、ひょうと鳴る矢風のひびき、軍兵のおたけびの声、踏み
  とどろく足音、兜をがっちと打つ太刀のひびき、撃たれてざんぶと波におちいる音、
  --一ちょうの琵琶をもって、それらの物音をたくみに曲弾きするのである。語っているうちに、
  芳一の左右からは、賞讃のささやきがおこった。「これはまた、なんというみごとな名手じゃ」
  「みやこでも、これほどに弾くのは聞いたことがない」「天が下に、芳一ほどの語りては、また
  とあるまいて」などというささやきである。その声が耳に入ると、芳一の胸のなかには、ひとき
  わ新しい気負いのこころがぼつねんと湧きおこってきて、さらにいっそうよく弾じ、よく語った。
  感服のあまり、あたりは水を打ったようにしんと静まりかえっている。

       【笛・安徳帝を暗示する高貴な旋律の間奏(其の二)】

  ところが、そうこうするうち、曲はしだいに進んで、やがてのことに、かの美人弱者の薄命のあ
  りさま--一門の女・子どもたちの哀れな最期、ご幼帝をいだきまいらせた二位の局の入水のく
  だりにさしかかったとき、

       【須彌壇の背後より女房達の悲痛な声声わき起こる。】

       【笛】

       【一の声 嗚呼、恐ろしや、恐ろしや。嗚呼、恐ろしや。】
       【二の声 悪七兵衛、何をしてをるのぢゃ。早う判官の首を討ち取らぬか。】
       【三の声 阿弥陀仏、阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。】
       【四の声 さても知盛中納言殿、お上を、お上をばいかに……】

  聞き入るものはいずれもみな、長い長いおののくような苦悶の音を発し、はてははげしい嗚咽の
  声をあげて、深い悲嘆に泣きくずれだした。その声があまりに高く、あまりにはげしいのに、芳
  一はいまさらのごとく、自分のひきおこした愁嘆のはげしさに、われながら驚き入ったほどであ
  った。
  すすり泣く声は、だいぶしばらくのあいだ続いていたが、やがていつとはなしに、哀哭の声は消
  えるがごとくにおさまり、あたりはふたたびまたもとの静けさにかえったと思うと、その静けさ
  のなから、芳一は、さいぜんの老女らしい女の声を聞きつけたのである。
  老女はいった。--
  「さてもさても、そなたは世にたぐいなき琵琶の名手。たれ及ぶものなき語りてとは、かねて存
  じておりましたれど、こよいほどの腕前とは、よもや存じませなんだ。わが君にも大のご満悦。
  じゅうぶんなる礼物をお下げ渡しくださる旨、よく伝えおけよとの仰せにござりまするぞ。この
  うえはこよいより六日があいだ、毎夜ご前において、そなたの琵琶を聞かせよとのご諚。わが君
  にはそのうえにてご上洛のおん旅にご発足あそばさるるおん催しなれば、明晩もかならずこよい
  と同刻に、当館までまかりでるよう。こよい案内せし者が、かさねて迎えに参じましょうぞ。そ
  れについて、ここにひとつ、そなたに申しつけておくことのあると申すは、余の儀にあらず、わ
  が君当赤間が関にご逗留のうちは、そなたが当館にまかり出ること、堅く他言はなりませぬぞ。
  なにを申せ、わが君このたびのおん旅は、お忍びのおん催しゆえ、さようなことはいっせつ口外
  ならぬとのご上意にござりまする。それでは、こよいはこれにて遠慮のう、ご坊へおひきとりな
  されませい」

   芳一は厚く礼をのべたのち、女中に手をとられて、館の玄関口までみちびかれてくると、そこ
  にさいぜん自分を案内してくれた、かの侍が待っていて、それが寺まで送りとどけてくれた。侍
  は、裏手の縁先まで芳一をつれてくると、そこで別れを告げて帰って行った。
   芳一がもどったのは、かれこれ空の白みかけた頃であったが、寺をひと晩明けたことは、だれ
  にも気づかれずにすんだ。和尚はその晩、だいぶ遅くなってから戻ってきたので、芳一のことは、
  もうとうに寝んでしまったものと思ったのである。翌日、芳一は、昼のうち少しばかりやすもこ
  ともできたが、昨夜のふしぎな出来事については、ひとことも口外しなかった。さて、その晩も
  真夜中になると、かの侍が迎えにやってきて、芳一は貴人たちのつどいの席によばれていったが、
  晴れのその席で、かれはふたたび弾唱して、前夜の演奏でかちえたと同様の成功を博した。とこ
  ろが、この二度目の伺候中に、芳一の寺を留守にしたことが露顕してしまったのである。朝にな
  って寺にへもどってくると、芳一はさっそく和尚のまえに呼びつけられた。和尚は芳一のために、
  じゅんじゅんとたしなめるように説いたのである。
  「芳一、わしらはな、そなたの身をいこう案じておったのだぞ。目かいもきかぬにただひとり、
  それもあろまいことか、夜ふけに他行するなどとは、けんのんこの上もないことじゃ。なぜ、ひ
  とこと断って行かなんだのじゃ。さすれば、寺男を供になとつけてやったものをよ。して、そな
  た、今までどこへ行ってじゃったな?」
  芳一は言いのがれのために、こんなふうに答えた。--
  「方丈さま、どうかご勘弁のほどを願いまするで。なに、ちと自分用がござりましてな、昼のう
  ちについちゃっと片づけられなんだものでござりましたゆえ……」
   和尚は、芳一が実を明かそうとしないのを見て、気を悪くするよりも、むしろ驚いた。これは
  どうやらただごとではない。なにかこれにはわけがありそうだ。ひょっとすると、この目の見え
  ぬ若者は、なにか魔性のものにでも憑りつかれたのではなかろうか。たぶらかされでもしていた
  のではあるまいか。--和尚はそれを心配していた。そこで、そのときはそれ以上深くは問いた
  ださずにおいて、あとで和尚は、ひそかに寺男に委細をふくめ、芳一の挙動に目をはなさぬよう、
  万が一、夜に入ってからまた寺を抜けだすようなことでもあったら、そのときはすかさず跡をつ
  けて行けと、かたがた言いつけておいたのである。

   その晩のことだった。芳一が寺を抜けだしていくのが見うけられた。それっというので、寺男
  たちはすぐにちょうちんをつけて、跡を追いかけた。ところが、その晩は雨降りで、ひどく暗い
  晩であった。寺男たちが表の通りへ出たか出ないうちに、芳一の姿はもうどこにも見えなくなっ
  ていた。
  それでみると、よほど芳一は足早に急いで行ったものにちがいない。しかし、目が見えないとい
  うことを思いあわせてみると、いかにもこれは不思議なことであった。だいいち、道もわるいと
  きている。寺男たちは、ともかくも町筋を急いで、芳一のふだん行きつけている家を、片っぱし
  から虱つぶしに尋ね歩いた。ところが、だれも芳一の行った先を知っているものがない。

       【大・小鼓】

  さんざん尋ね歩いたあげく、寺男たちは浜づたいに寺の方に引き返してきてみると、驚いた。阿弥
  陀寺の墓地のなかで、さかんに琵琶を弾じている音がきこえるのである。墓地の方角は、ただもう
  いちめんの闇で、その団団たる闇のなかに、鬼火が二つ三つちらちら燃えているのは、いつもの闇
  の晩と同じであった。寺男たちは、ちょうちんのあかりをたよりに、墓地のなかにいる芳一を、よ
  うやくのことで見つけだした。芳一は降りしきる雨のなかに、ひとりしょんぼりと、安徳天皇のみ
  陵のまえに端座して、錚々と琵琶をかきならしながら、しきりと声をはりあげて、壇の浦合戦の段
  を語っていたのである。その芳一のうしろにも、まわりにも、また墓碑という墓碑の上にも、ちょ
  うど無数の燭をともしたように、陰陰たる鬼火が燃えたっていた。あとにもさきにも、こんなにお
  びただしい陰火が人間の目に見えたことは、ついぞためしのないことであった。
  「芳一さん! --芳一さんよ!」寺男たちはどなった。「おめえさま、化かされてござるだ。…
  …芳一さんよ!」
   けれども、盲人の耳には、その声がはいらないらしい。芳一は、ますます懸命に、いよいよ力を
  こめて、錚々と琵琶をかき鳴らしながら、声をふりしぼって、ここをせんどと壇の浦合戦を誦する
  ばかりである。寺男たちは、芳一のからだをむずと捉えると、その耳もとで大音にどなりたてた。
  「芳一さん! --芳一さんよ! さあ、おれたちといっしょに、すぐ戻らっしゃれ!」
   すると芳一は、まるで叱咤するような声で、寺男たちにむかって言った。--
  「もったいなくも君のご前において、さような邪魔だてひろぐと、容赦はならぬぞ!」
   事はいかにも不気味であったが、これには寺男たちも、思わず失笑せずにはいられなかった。も
  うこうなれば、どのみち、芳一がなにか物にとりつかれていることは、まぎれもないことである。
  寺男たちはむりやりに芳一をひったてると、一同力にまかせ、追いたてるようにして急ぎ寺へつれ
  戻った。寺へもどると、和尚のさしずで、芳一の濡れそぼった衣服を着かえさせ、それから飲むも
  のと食べるものをあたえた。やがて和尚は芳一に迫って、この驚き入った振舞について、じゅうぶ
  んな申し開きを求めた。
   芳一は、ややしばらく語ることをちゅうちょしていたが、とうとうしまいに、自分のしでかした
  ことが親切な和尚を驚かし、かつ憤らせたことに気づいて、ようやくのことで、いままでの自分の
  隠しだてを捨てる腹をきめ、かの侍が自分のところへ訪ねてきてから、きょうまでに起ったいちぶ
  しじゅうのいきさつを、はじめて和尚に打ち明けたのである。
   和尚はいった。--
  「芳一、そなたはふびんなやつじゃ。そなたはの、いま、たいへんな危ない目に会うているのじゃ
  ぞ。こんなことにならぬうちに、早くわしに言うてくれなんだのは、なんとも不運なことであった。
  これというのも、みなこれは、そなたが琵琶がじょうずなばかりに、このような危難に会うたの
  じゃ。しかし、もはやこうなるうえは、そなたももうよいほどに目がさめねばならぬぞ。そなたは
  の、人の家にまいっておったのではない。じつは毎夜、当墓所内なる平家のご墓所のまえで過ごし
  ておったのじゃ。こよい、寺男どもが雨の降るなか、そなたの坐っておるのを見つけたところは、
  あれは安徳帝のみ陵の前であった。亡者が尋ねてまいったことはともかくとして、そなたが妄想し
  ておったことは、あれはみな一場のまぼろしなのじゃ。ひとたび亡者の申すことに従うたばかりに、
  その亡者どもの念力に、そなたは縛されておったのじゃ。これまでのようなことがあったに、こ
  のうえ二どとまた亡者の申すことをきけば、そなたの身は、ついには八つ裂きに会うてしもうぞよ。
  いや、いずれ遅かれ早かれ、その身はとり殺さるるにきまっておる。……ところで芳一、わしは
  こよいもまた一軒通夜があって、よんどころなく出かけねばならぬによって、そなたといっしょに
  寺におるわけにはまいらぬでな。そのかわりに、どうでも出かける前に、そなたの五体に、護符の
  経文だけは書きつけておいて進ぜようわい」

       【須彌壇の背後より般若心経の読経の声】                    

  かんじーざいぼーさつ。ぎょうじんはんにゃーはーらーみつたーじー。            
  観自在菩薩。     行深般若波羅蜜多時。

  しょうけんごーうんかいくう。どーいっさいくーやく。
  照見五蘊皆空。       度一切苦厄。

  日の落ちるまえに、和尚と納所とは、芳一をまる裸にすると、さて筆をとって、ふたりは芳一の胸
  といわず、背中、頭、顔、うなじ、手、足とーー五体のうちは残るくまなく、足の裏にいたるまで、
  いちめんに般若心経を書きつけた。

  しゃーりーしー。しきふーいーくー。くうふーいーしき。しきそくぜーくう。
  舎利子。    色不異空。    空不異色。    色即是空。

  くうそくぜーしき。じゅーそうぎょうしきやくぶーにょーぜー。
  空即異色。    受想行識亦復如是。

  しゃーりーしー。ぜーしょーほうくうそう。ふーしょうふーめつ。
  舎利子。    是諸法空相。      不生不滅。

  ふーくーふーじょうふーぞうふーげん。ぜーこーくうちゅう。むーしき。
  不垢不浄不増不滅。     是故空中。     無色。

  むーじゅーそうぎょうしき。むーげんにーびーぜつしんにー。
  無受想行識。       無眼《耳》鼻舌身意。

               【笛《耳》の一字読誦の瞬間に合わせて烈しく吹く】

  はんにゃーはーらーみつたー。ぜーだいじんしゅー。ぜーだいみょうしゅー。
  般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。

  ぜーむーじょうしゅー。ぜーむーとうどうしゅー。のうぢょーいっさいくー。
  是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。

  しんじつぷーこーこー。せつはんにゃはーらーみつたーしゅー。
  真実不虚故。説般若波羅蜜多呪。

  そくせつしゅーわつ。ぎゃーていぎゃーてい。はーらーぎゃーてい。
  即説呪曰。羯諦 羯諦。 波羅羯諦。

  はらそうぎゃーてい。ぼーじーそわかー。
  波羅僧羯諦。 菩提娑婆訶。

  はんにゃーはーらーみつたーしんぎょう。
  般若波羅蜜多心経。

  さて書きおわると、和尚は芳一にいった。
  「こよい、わしが出かけたばの、そなた、すぐに裏の縁先にすわって、待っておるがよい。すると
  迎えがくる。じゃが、どんなことがあろうと、そなた、返事をしてはならぬぞよ。また、五体を動
  かすこともなりませぬぞ。口をばきかいで、じっと静かに坐っておるのじゃ。まず三昧のていと思
  えばよい。もし少しでも身を動かしたり、声をたてたりするようなことがあれば、その身は八つ裂
  きにあうことは必定じゃぞよ。だが、恐れるには及ばぬ。だによって、助けを呼ぼうなどと思わぬ
  ことじゃ。助けを呼ばったとて、しょせん助かるものではない。ただ、わしが今いうたとおりにさ
  え、間違いなくしておれば、危難はぶじに退散して、恐ろしいことはなくなろうでの」

   夜に入ってから、和尚と納所は出かけて行った。芳一はいわれたとおり、縁先に座をしめた。縁
  の板敷の、自分のすわっているそばに琵琶をひかえて、入禅の姿勢をとり、じっと神妙に端坐して
  いるのである。そして一心に精神をこらし、しわぶきの声ひとつたてず、つく息もきこえぬように
  しているのである。こうして、芳一は幾時か待っていた。そのうちに、やがて往来のほうから足音
  の近づいてくるのが聞こえてきた。

       【太鼓・物具を身に纏った衛士の足音をアシラウ】

  足音は裏の木戸をはいって、庭を通りぬけ、縁の近くまできて、さて芳一のすぐ前まできてとまっ
  た。
  「芳一!」と例の太い、力のこもった声が呼ぶ。しかし、盲人は息をころして、じっと坐ったまま、
  身じろぎひとつしない。
  「芳一!」と二度目の声が、ぞっとするように呼ぶ。やがて三度目の声が呼ぶ。こんどは荒々しい
  声である。
  「芳一!」
   芳一は、依然として石のように静かである。--すると声は、いかにも不服らしげに、こんなこ
  とをいうのである。--
  「返事がないな。これは怪しからぬ。しゃつめ、どこへ失せおったか見てくりょうわ」
   たちまち、縁にあがる荒々しい足音がした。足音はのしり、のしりと近づいて、芳一のすぐそば
  まできて、ぴたりと止まった。

       【太鼓」

  芳一は、身ぬちが胸の動悸でがたがた震うように感じた。あたりは闃として、物音ひとつしない。
   やがて荒びた声が、芳一のすぐ耳もとで、こんなことをつぶやいた。
  「ここに琵琶があるぞ。だが、琵琶法師が見えぬ。ただ耳がふたつ見えてあるだけじゃ。……さて
  こそ返事をせぬはずじゃわ。返事をしようにも口がないて。法師の五体は、耳が残っておるだけ
  じゃ。……よし、しからばここなこの耳を、大殿に持って帰って進んぜようわえ。殿の厳命をばよ
  くぞ勤めたという、こりゃよい証拠じゃ」
   そのせつなであった。芳一は、くろがねの指に両の耳をむずとつかまれたかと思うと、
  たちまち、びりびりと、

       【笛】

  引き裂かれるのをおぼえた。その痛さをひじょうなものであった。が、それでも芳一は声をたてな
  かった。重い足音は、ずしり、ずしりと縁をしさっていった。やがて足音は庭に降り、それから往
  来の方へ出ていき、--そして消えた。芳一は、両の首すじから、なにやらねばねばした温いもの
  がたらたら流れ落ちるのをおぼえたが、それでも手を揚げることをしなかった。        

   日ののぼるまえに、和尚は帰ってきた。帰るとすぐさま、いそいで裏の縁へまわってみたが、そ
  のとき和尚は、ふとなにかねばねばしたものを踏みつけて、足をすべらした。そして、あっと声を
  あげた。ちょうちんの灯でみると、そのねばねばしたものは血汐であった。見ると、芳一は、縁の
  はなに三昧の姿勢をとったまま、じっと端坐している。--傷口からしたたる血汐に、朱に染まり
  ながら。
  「や、芳一!」と愕然とした和尚は叫んだ。「これはまた、な、何としたことじゃ。そなた、怪我
  をさしゃったか?」……
   和尚の声をきいて、芳一はもう危険はないとおもった。そして、いきなりわっとその場に泣き入
  るなり、こよいの顛末を涙のうちにものがたった。
  「おお、やれやれ、ふびんな、ふびんな!」と和尚はおもわず声高に、
  「みんなこれは、わしの手落ちじゃ。いかにもわしが悪かった! そなたのからだは、どこもくま
  なく経文を書きつけたったに、耳だけ書きおとしてしもうたわ。よもや納所めが、そんなことはせ
  まいと思うて、わしゃそこのところはあれに任せておいた。言うとおりに書いたかどうか、それを
  確かめて見なんだは、重々わしが悪かった。……しかし、いまさら悔んがとて、せんないこと。こ
  のうえは一刻も早う、その傷をなおすことじゃ。芳一、したがそなた、よろこべ。元気を出せよ。
  危難はもはや退散したぞ。こののちは、もう二どとふたたび、あのような亡霊に煩わさるることは、
  ゆめゆめないぞ」

  芳一の傷は、まもなく良医の手によって本復した。ふしぎな危難のうわさは、おちこちに広まりつ
  たえられ、やがて芳一の名は、一時に世に高くなった。多くの貴人たちが芳一に琵琶をききに、は
  るばる赤間が関まで足をはこんでくる。おびただしい黄白が贈られて、芳一はそのために、たちま
  ちのうちに裕福になった。しかし、この奇談があってからのちは、もっぱら耳なし芳一という異名
  で通ったのである。

       【須彌壇の背後より振鈴の音、高く、次第に静かに】

                                      
                    《参考 ラフカディオ・ハーン作/平井呈一訳『怪談』(岩波文庫)》

 




2002 CROATIAN TOUR of JAPANESE STAGE ARTISTS GROUP "URUSHI"
International music festival at Dubrovniku,Croatia

《アドリアの月 海の女神》
―能「松風」の主題によるクロアチア変奏曲ー


アドリア海に 月落ちぬ
月の光は 皓皓と
海は泡立ち 香に満ちぬ

嗚呼 太古の海 わき立ちて
ふるへふるへる いのちかな
そのさざ波は 海の果て
果てなる空に 空に寄す

アドリア海に 月落ちぬ
月の光は 皓皓と
海は泡立ち 香に満ちぬ

山川草木 悉皆成仏
月の雫に かかやきて
慈悲の光は 天に満ち
慈悲の光は 地に満ちぬ

月の雫は たちまちに
村雨となるかと見るや空晴れて
松風ばかり よそに聴き
月天心に 澄みにけり

冴えわたる アドリアの月
七つの海の 海の女神
いのちの海の 海の女神
アドリアの月 冴えわたる



Luna-Sea


The Moon fell into Adriatic Sea
The bright beams caused the ripples to foam
Leaving a fragrance over the sea

O,ancient Sea!
Out of it life began to flow forth
Trembling until it finally took form
Surging into the sky
Beyond the Adriatic Sea

The Moon fell into the Adriatic Sea
The bright beams caused the ripples to foam
Leaving a fragrance over the sea

Mountains,rivers,grass,and trees
All things,O,Buddha
Are lit by drops of Moonlight
Filling heaven and earth
With the light of his benevolence

An instant,drops of Moonlight
As a MURASAME1 over the Adriatic Sea
It cleared up all of a sudden
With a MATSUKAZE2 blowing silently
In the midst heaven
The Moon
Bright as ever!

O,Adriatic Moon!
Shining brightly
Goddess of the Seven Seas
Of our birth
Bright as ever!


Original poem written by Miho Morimoto
Adapted into a Noh version by Hiroshi Negishi
Translated into English by Toshiaki Ozaki and Edward Torrico

1 
MURASAME literally means a passing rain.
Also,she is MATSUKAZE's younger sister in the Noh play MATSUKAZE.

The MATSUKAZE story : One day a Buddhist monk traveler finds himself at beach,
where he encounters two beautiful fisherwomen.
MURASAME and MATSUKAZE He asks them to lodge him for the night.
While taking, he finds out that MATSUKAZE is still in love with her by-gone lover Yukihira.
MATSUKAZE takes Yukihira s memento and begins to dance so passionnately
that the traveler loses the sense of time.
After a while he only finds a wind blowing amang the pines along the beach after a passing rain.
2  
MATSUKAZE literally means the wind blowing among pines. 
 


 

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